北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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都通

2021-12-06 20:49:19 | 札幌

 

札幌の中心部、南3条と南4条の間の仲通。

しばらくこの辺りにも行っていなかったのだけど、まずはちょっと地図を貼り付けます。

 

 

 

「都通」という、昭和28年(1953年)に一般公募によって命名された名前が付いています。

 

 

 

先程貼り付けた地図からも分かるかと思いますが、北日本一の繁華街「すすきの」の出入口とも言える、国道36号のメインストリートから一本北へ入った所にある小さな通りで、日中は人通りもそんなになく、寂しい印象があります。

 

 

 

通りの名前がついたビル。

回転寿司には家族でよく行きますが、こういう本格的なお寿司屋さんには、かなり長いこと行っていません。

 

 

この通りは、かつては高級料亭や見番(芸者衆の事務所)が軒を連ねる華やかな繁華街で、「一等小路」と呼ばれていた時代もあったそうですが、戦後の都市計画によって、ここから一本南のメインストリートの道路幅を、それまでの20mから45mに広げるために、道路から見て北側のブロック、この写真でいうと右側のブロックが大きく削られることとなってしまいました。

それだけが原因ではないのかもしれませんが、それ以降、ゴミが散乱したり、野良犬や野ネズミなどが走り回る不衛生な場所となってしまい、また街路灯も整備されていなかったことから、夜も危険が高く物騒な場所ということで、往時の賑わいを失ってしまいました。

このことに加え、通りの南北で条の数字(写真の左側が南3条、右側が南4条)が異なり、住民の自治団体も別々になっていたことから、両側それぞれが一体となってこの危機を打破しようという機運も起こらなかったそうですが、そんなさ中の昭和28年(1953年)、「石川物産館」という会社の支配人であられた「吉中新次郎」氏がこの通りで営業する人達に声をかけ、「美装期成会」という団体を設立し、新聞にも広告を出したうえで通りの名前を募った結果、「都通」という名前に決まったとのことです。

 

 

こちらは、その「美装期成会」があった場所に立つ「恵愛ビル」。

札幌駅前通とすすきのの表通りが交差する一等地にあります。

 

 

 

2丁目にある、札幌軟石で作られた倉庫。

かつて「穂苅銘木店」という店舗として使われていた場所で、明治時代に作られた、都通では最古の建物です。

現在は、アウトドアショップが入居しています。

 

 

 

 

 

一般公募によって名前の付いた「都通」は、結成後即、道路の舗装や側溝、街路灯の整備に着手し、「都通会」の会員となったお店の人たちが力を合わせて整備を進めてきました。

 

 

 

 

4丁目の「WINS」の裏。

かつてここには、昭和初期に札幌随一の売り上げを誇った「いく代」という割烹料理店があったそうです。

 

 

 

 

 

昭和後期に入り、「都通」も周辺の街と同様にビル化が急速に進むこととなりましたが、札幌市は、平成元年(1989年)に、画一的になりがちなビル街に豊かな表情を蘇らせようという「札幌都心部ロマネット計画」をスタートさせました。

これは平成7年(1995年)まで続けられ、これにより「都通」は、緩やかなカーブを描く車道が印象的な美しい通へと生まれ変わりました。

夜の通りを照らす街路灯は、「都通会」の会員が費用を出し合って整備したもので、現在は札幌市の管理となっています。

 

 

赤線が「都通」です。

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中央寺

2021-12-05 16:27:10 | 札幌

 

 

「札幌五大寺」の四か所目は、昨日の「新善光寺」から目と鼻の先にある、曹洞宗の「中央寺」です。

 

 

曹洞宗は、歴代二番目に北海道に進出した宗派で、「少教正」という職位にあった、「西有穆山(にしあり・ぼくざん)」」という人物が、明治7年(1874年)8月に、札幌に小教院の設置を申請して許可を得、翌年中教院となったことが、この「中央寺」の端緒となっています。

もっとも、この「中教院」とは、本来は寺院ではなく、あくまでも教義の場に過ぎないという位置づけで、葬儀を取り仕切ることは禁じられていたそうですが、同寺に関しては、「元来該地ノ義ハ寺院稀少、内地(本州のことです)一般ニ難見做事情モ有之」という理由で、特別に許可されていたそうです。

 

 

 

「仁王門」とも呼ばれる立派な山門には、その名のとおり、仁王像が設置され、訪れる人を出迎えています。

 

 

中央寺の歴史の続きとしては、明治12年(1879年)に本堂が完成、同14年(1881年)に曹洞宗宗務支局となり、翌同15年(1882年)に寺号公称を認可され、同25年(1892年)に現在地へ移転してきました。

現在地への移転に伴い、福井県にある、曹洞宗の大本山、永平寺の直末となったそうです。

 

 

 

 

「不管東西南北風」。どういう意味かなと思って調べてみると、「東西南北の風がどうであれ」という意味の漢文だそうです。

「風がどのように吹こうが、それに惑わされたりすることなく、己の人生を切り拓いていくべし」とかいう意味が込められているのかな?

 

 

 

訪れたのが11月中旬だったので、既に葉も落ちていましたが、相当樹齢がありそうな木が聳え立っていました。

 

 

 

 

境内には水子地蔵堂も設置されています。

胎児の状態で亡くなった子供の供養を行う「水子供養」は、お寺で行われることから、仏教の伝来によって日本に伝わってきたものかなと思っていましたが、どうやら日本独自の慣習のようです。

 

 

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新善光寺

2021-12-04 16:23:50 | 札幌

 

地下鉄東豊線「豊水すすきの」駅周辺を散策中、二つのお寺に立ち寄りました。

5月に、中央区にある「西本願寺札幌別院」を紹介したときの記事で、札幌市内には「札幌五大寺」というお寺があると書いていました。

西本願寺と、豊平区豊平にある「経王寺」までは紹介しましたが、時間が空いて、三か所目を紹介します。

 

 

それがこちら、浄土宗の「新善光寺」。

明治15年(1882年)、浄土宗鎮西派の総本山である、「三縁山広度院増上寺」(東京の芝公園にある有名なお寺。私も行ったことがあります)の特命開教師として北海道を訪れた「大谷玄超」という人物が、札幌に寺院を創設することを計画し、すすきのの一角に草庵を建立したことに端を発するお寺で、二年後に寺号を公称して、北海道における浄土宗の基礎を築くこととなりました。

 

 

明治34年(1901年)に完成した旧本堂は、昭和21年(1946年)に発生した大火によって類焼してしまいました。

現在の本堂は、昭和39年(1964年)に再建が完了しています。

 

 

 

 

鐘の基礎部分に、お寺の歴史が刻まれています。

「老人ホーム」とか「幼稚園」という言葉が見えますが、昭和21年(1946年)に、現在「慈啓会」という社会福祉法人が経営する老人ホームの発端となる「札幌養老院」という施設を開業したり、昭和47年(1972年)には、白石区での仏教保育推進のため、「しろいし幼稚園」という幼稚園の設立にも関わっています。

 

 

これは・・・、観音様でしょうか・・・。

調べてみたところ、「天然石慈母観音像」と呼ばれる観音様が描かれているそうです。

 

 

馬頭観音菩薩の碑。

札幌市内でもあちらこちらで見られますが、ここはどういう由縁があるのかな・・・。

 

 

「新善光寺」では、月に1回、「今月の言葉」を掲示しています。

お寺の公式HPでも見ることができますので、興味のある方は、ぜひ御覧ください。

私も最近、お寺の門前に掲示されている言葉に関心を持ち始めています。

 

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道路上の大きな木~琴似編~

2021-12-03 19:56:18 | 札幌

 

地元琴似を歩いていて、以前から何となく気にはなっていたのだけど、注目することなくスルーしていた場所がありました。

 

 

道路のど真ん中に、堂々と木が立っています。

北区麻生で同じようなのを見たことがありますが、これは一体・・・?

 

 

もしかしてと思って探してみたら、というか、探すまでもないくらい分かりやすい場所に、しっかりと解説板がありました。

明治10年(1887年)に開校した「琴似小学校」に通う子供たちが、「学校の木」として大切に育ててきた木が、道路整備に伴って伐採されることなく、現在もこうして大切に保存されているということなんですね。

 

 

 

現在の「琴似小学校」。

先ほどのケヤキの木は、現在は学校敷地内ではなくなりましたが、通っている子供たちには、きっと話が語り継がれていることと思うので、これからも大切にされていってほしいですね。

 

 

今回は、あえて航空写真を埋め込んでみました。

 

 

紹介したのは「ケヤキ」の木ですが、開拓当時の琴似地区は、一面「かしわ」の木が生い茂る場所だったそうで、このようなトンネル状の木まであったんだそうです。

現在の住宅地としての姿からはちょっと想像もつかないですが、こういう写真を見ると、もう少し残されていてほしかったなあとさえ思います。

というか、残ってないのかな?せめて痕跡でも?よし、調べてみます。

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ラーメン店と珈琲店を開拓

2021-12-02 20:07:23 | グルメ・スイーツ

 

地下鉄円山公園駅近くにある、ずっと以前から気になっていたラーメン屋さん。

何故気になっていたかといいますとね、やっぱりこのお名前ですよ。

「アメリカ横断ウルトラクイズ」の大ファンの私としては、やっぱり気になり、反応してしまうわけですよ。

「ニューヨークへ行きたいかぁぁ~!」という声が、どこからか聞こえてしまうわけですよ。

 

 

ということで、ちょこっとお邪魔してきました。

 

 

ネギ味噌ラーメンをオーダー。

シンプルだけど、昔懐かしい味わいがあり、ラーメン激戦区札幌にあって、長年この味を保ち続け、お店が続いているということの強みというものを感じました。

夕方仕事帰りに覗いてみると、常連さんも結構いるのか、夕食を取っているお客さんも多いようなので、またぜひ行こうと決めました。

 

 

さてさて、先ほど、「ウルトラクイズファンとして気になり、反応した」と書きましたが、ウルトラクイズでは、メインMCの留さんこと福留功男さんの他にもうお一人、敗者の見方として出演されていたアナウンサーがいらっしゃいました。

最近不適切な発言で炎上騒ぎを起こしてしまいましたが、当時(1987年(昭和62年)まで)、福留さんと並ぶ日本テレビの二大巨頭だった、そう、徳光和夫さんですね。

 

 

全くの偶然だとは思います。

先ほどの「福留」さんから徒歩5分もかからない場所に、このような名前の珈琲店さんを発見したのです。

 

 

 

ということで、こちらにもちょっとお邪魔(別な日です)。

 

 

若い男性の店員さんがお二人でカウンターに立っていました。

 

 

 

珈琲関係の雑貨類も充実しています。

 

 

本場コロンビアの詳細な地図が掲示されていました。

 

 

 

 

オーダーしたのは、エスプレッソとバタートースト。

エスプレッソは、メニュー表(こちら)に「お砂糖をたっぷり入れて」とあるとおり、苦さが特徴的でしたが、ちょうどこのとき眠気もあったせいか、砂糖&ミルクなしで十分美味しくいただけました。

バタートーストは、じっくりと時間をかけて焼き上げていただけあって、バターの風味がしっかりとパン全体に浸透していて、一つだと物足りないくらいでした。

次回は、何かスイーツでもオーダーしてみたいと思います。

今回は円山店に行きましたが、大通にもあるそうです(お店のHP)。

 

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