札幌の中心部、南3条と南4条の間の仲通。
しばらくこの辺りにも行っていなかったのだけど、まずはちょっと地図を貼り付けます。
「都通」という、昭和28年(1953年)に一般公募によって命名された名前が付いています。
先程貼り付けた地図からも分かるかと思いますが、北日本一の繁華街「すすきの」の出入口とも言える、国道36号のメインストリートから一本北へ入った所にある小さな通りで、日中は人通りもそんなになく、寂しい印象があります。
通りの名前がついたビル。
回転寿司には家族でよく行きますが、こういう本格的なお寿司屋さんには、かなり長いこと行っていません。
この通りは、かつては高級料亭や見番(芸者衆の事務所)が軒を連ねる華やかな繁華街で、「一等小路」と呼ばれていた時代もあったそうですが、戦後の都市計画によって、ここから一本南のメインストリートの道路幅を、それまでの20mから45mに広げるために、道路から見て北側のブロック、この写真でいうと右側のブロックが大きく削られることとなってしまいました。
それだけが原因ではないのかもしれませんが、それ以降、ゴミが散乱したり、野良犬や野ネズミなどが走り回る不衛生な場所となってしまい、また街路灯も整備されていなかったことから、夜も危険が高く物騒な場所ということで、往時の賑わいを失ってしまいました。
このことに加え、通りの南北で条の数字(写真の左側が南3条、右側が南4条)が異なり、住民の自治団体も別々になっていたことから、両側それぞれが一体となってこの危機を打破しようという機運も起こらなかったそうですが、そんなさ中の昭和28年(1953年)、「石川物産館」という会社の支配人であられた「吉中新次郎」氏がこの通りで営業する人達に声をかけ、「美装期成会」という団体を設立し、新聞にも広告を出したうえで通りの名前を募った結果、「都通」という名前に決まったとのことです。
こちらは、その「美装期成会」があった場所に立つ「恵愛ビル」。
札幌駅前通とすすきのの表通りが交差する一等地にあります。
2丁目にある、札幌軟石で作られた倉庫。
かつて「穂苅銘木店」という店舗として使われていた場所で、明治時代に作られた、都通では最古の建物です。
現在は、アウトドアショップが入居しています。
一般公募によって名前の付いた「都通」は、結成後即、道路の舗装や側溝、街路灯の整備に着手し、「都通会」の会員となったお店の人たちが力を合わせて整備を進めてきました。
4丁目の「WINS」の裏。
かつてここには、昭和初期に札幌随一の売り上げを誇った「いく代」という割烹料理店があったそうです。
昭和後期に入り、「都通」も周辺の街と同様にビル化が急速に進むこととなりましたが、札幌市は、平成元年(1989年)に、画一的になりがちなビル街に豊かな表情を蘇らせようという「札幌都心部ロマネット計画」をスタートさせました。
これは平成7年(1995年)まで続けられ、これにより「都通」は、緩やかなカーブを描く車道が印象的な美しい通へと生まれ変わりました。
夜の通りを照らす街路灯は、「都通会」の会員が費用を出し合って整備したもので、現在は札幌市の管理となっています。
赤線が「都通」です。