北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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はまなすの丘公園~1~

2022-07-21 19:53:47 | 石狩・空知地方

 

石狩市の「はまなすの丘公園」に行ってきました。

石狩川と日本海に挟まれた、砂嘴になっている場所の先端付近にあります。

私も22~23年くらいぶりに行きました。

 

 

公園入口に、大きな灯台があります。

 

 

以前来たときにも見ていたと思うのだけど、道内最古の灯台だということは知りませんでした。

平成11年(1999年)に改修を行ったとありますが、前回行ったのはその頃だったと思います。

 

 

「喜びも悲しみも幾歳月」

聞いたことがあった気がするけど、何だったか出てこなかったので調べてみましたが、昭和32年(1957年)に公開された、高峰秀子、佐田啓二主演の、日本各地の灯台を舞台にした映画でした。

この石狩灯台も舞台になっていたため、記念碑が建てられているそうです。

 

 

公園内は、木道が整備されています。

 

 

 

 

 

 

 

「はまなすの丘」という園名だけど、様々な種類の植物が生育しています。

 

 

ラベンダー園とかと違って、一面に咲き誇っているというわけでもないので、場所によっては、むしろ咲いている所を探す方が大変ということもあるのだけど、それだけに、綺麗に咲いている花を見つけると、嬉しいものがあります。

 

 

 

 

 

冒頭書いたとおり、日本海と石狩川に挟まれた砂嘴になっている場所で、歩くことができる場所は、ほぼ石狩川に沿っています。

この先、どこまで続いていることやら・・・。

 

 

※文中敬称略

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伊達邦直主従上陸の地

2022-07-20 20:15:49 | 石狩・空知地方

 

札幌の隣の石狩市。

政令指定都市ではありませんが、平成17年(2005年)に合併した、旧「厚田村」と「浜益村」は、現在も「厚田区」「浜益区」として、合併前の名前を残し続けています。

同じような例は道内でも幾つかあるのだけど、これはいいことだと思います。

平成16年(2004年)に広域合併をした函館市も、かつての「南茅部町」「椴法華村」「恵山町」「戸井町」をそれぞれ「区」としておけば良かったのにと思います。

 

 

そんな「石狩市厚田区」の「聚富」という地名。

ローマ字表記のとおり、「しっぷ」と読みます。

地名の由来は、アイヌ語で「箱の形をしたもの」を意味する「シユ・オプ」に由来するとされています。

周辺に広がる川や山の形状を「箱」に見立てたということのようです。

 

 

厚田区を走る国道231号から少し海の方へ走った所にある小さな碑。

 

 

 

「伊達邦直主従北海道移住の地」の碑。

以前ちょっと予鈴的に書きましたが、札幌の隣の当別町の開拓の礎を築いた「伊達邦直」が、故郷仙台藩から北海道開拓に志願し、開拓使との協議により、荷揚場を使用することが認められたのが、この聚富でした。

結果的に、この聚富も土質が悪くて農地としては適さないことが分かり、明治5年(1872年)、邦直は当別町に入植することとなりましたが、そんな邦直主従の上陸を記念する碑が、現在もこうして聚富に残されています。

(当別町の記事はこちら

 

 

この碑は平成8年(1996年)に建立されたもので、題字は、邦直の子孫で、当時の当別町長であった「伊達寿之」氏によるものです。

 

 

なるべく顔は写りこませたくないので、少々横から。

元々邦直が開拓を命ぜられたのは空知管内の「奈井江町」の辺りで、聚富はその開拓のための前身地に過ぎませんでしたが、この間に八人の新生児が誕生して将来に明るい光をみることができ、また、「本庄睦男」という作家の歴史小説「石狩川」の舞台もここ聚富であったことから、後の当別開拓の方向に定まった歴史的位置を後世に伝えるため、この碑が建立されたと刻まれています。

 

 

その碑から少し海へ向かった所で撮った一枚。

写真の先は、遠く大雪山系に端を発する大河、「石狩川」の河口付近です。

次は、この河口付近を目指してみます。

 

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きつねダンス

2022-07-19 19:58:13 | 気になるコト

【日本ハム】新庄ビッグボスら11人新型コロナ陽性 1、2軍の首脳陣と選手を大量入れ替え(日刊スポーツ)

 

あらー、そうなっちゃいましたか・・・。

せっかくここ最近軌道に乗ってきた感があったのに。

別なニュースサイトに、「こういうときにチーム力が問われる」という趣旨のことが書いてあったけど、それはそのとおりだとしても、11人はちょっとねえ・・・。

まあ、頑張ってほしいです。せめて最後は4位を目指せるように。

 

というか、今日は、ファイターズ関係の違う話題を紹介する予定だったので、ここからはその話題に。

 

人気止まらぬ「きつねダンス」、その誕生秘話 あなたも一緒に踊りませんか?(北海道新聞)

 

北海道と聞いてイメージする動物といえば、やっぱりなんだかんだ言っても、クマ(ヒグマ)が一番なのかなって気がするけれど、キタキツネも根強い人気があるみたいです(遭遇したときの記事)。

一昨年から、そのキタキツネをモチーフにした、北海道日本ハムファイターズのキャラクター「フレップくん」が登場したことに伴い、今年になって、札幌ドームでのゲームの際に披露されるようになったのが、この「きつねダンス」。

主に踊っているのは「ファイターズガール」の皆さんだけど、今や、ファイターズの選手や観客はもとより、相手チームの選手までもがリズムに乗って体を動かすまでになったという浸透ぶりです。

 

ということで、まずはこちらの動画を。

 

ここまで知名度が上がってくると、やっぱり地元の各放送局も自然と取り上げるようになるわけで、各放送局の公式YouTubeには、アナウンサーやコメンテーターの方々がリズムに乗って踊る画像が続々アップされています。

その中から、個人的にお気に入りなのを3つほど。

 

(HTB「イチオシ!!」)

 

メインMCの森さやかアナが可愛いです(^O^)(レッスンのときもスタジオのシーンでも)

オクラホマ河野君(後列左)は、きつねと言うよりた・・・、失礼、ほのぼのとした感じで面白いですね。

 

(HTB「イチモ二!」)

 

このメンバーもいいけれど、大野恵アナにもやってほしかったなあ・・・。

ファイターズガール代表でダンスをレクチャーしている滝谷美夢(たきやみう)さん、SNSの影響で、道外にもファン層が拡大していて、今やご当地アイドル並の人気を誇っているそうです。

それから、後列右から二番目の方は、長野オリンピック金メダリストの清水宏保さんです。

 

(HBC「今日ドキッ!」)

 

ニュースの途中でユニフォーム姿に変わる森田絹子アナと金城茉里奈アナが、コントっぽくて面白い。

若い男性アナもいいが、管理職クラスのベテランアナにやっていただくのも面白いのでは。

 

これきっと、小学校や幼稚園でも、運動会や学芸会なんかでプログラムに組まれそうで、まだまだ人気が拡大しそうです。

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花畔神社~2~

2022-07-18 16:14:51 | 石狩・空知地方

 

「花畔(ばんなぐろ)神社」の続き。

数多い記念碑を見た後は、境内をゆっくりと。

 

 

神社ではおなじみの狛犬。

 

 

 

おや、一対ではないようです。

 

 

 

 

 

 

なんとなんと、参道内に四対(八体)もの狛犬がいました。

古代インドの密教で用いられる「梵字」(「阿吽」の「阿」で始まり、「吽」で終わる)の解釈に関係あるのではという説が色々とあるようです。

 

 

本殿はさほど大きくはないですが、住宅街にあるので、お正月の初詣や、各種祈願にはかなりの参拝客が訪れているようです。

 

 

 

明治4年(1871年)とあったので、昨日も触れた、現在の岩手県からの最初の入植に関する、また別な碑なのかと一瞬思ったけど、昭和4年(1929年)に設立された「花畔土巧組合」によるかんがい事業の歴史が刻まれています。

「土巧組合」とは、現在でいう「土地改良区」の前身となる組織で、花畔村では、砂地を水田にして食料増産に貢献し、戦後になって「土地改良区」に組織変更し、昭和46年(1971年)の石狩湾新港整備に関連して、事業に終止符が打たれたとのことです。

 

 

 

こちらは、札幌市内でもよく登場する、開拓判官「岩村通俊」の名前が刻まれています。

「花畔村」の命名者だったんですね。

道内の他の地方でも同じようなことがありましたが、砂地、湿地で一面原野状の土地を農地として開墾し、今日に至る繁栄の礎としたことの功績を称えるものとなっています。

 

 

 

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花畔神社~1~

2022-07-17 16:17:43 | 石狩・空知地方

 

 

札幌を離れて、隣の石狩市へ行ってきました。

平成8年(1996年)9月に、石狩郡石狩町から市に昇格し、平成17年(2005年)には、北側にある「厚田村」と「浜益村」を編入して、現在に至っています。

 

その石狩市は難読地名が多いことで知られているのだけど、まず紹介するこちらの神社。

「花畔」と書いて何と読むでしょう?

素直な音読みで「かはん」ではありません。

 

正解はこちらを御覧ください。

読めませんよね、普通には。

 

 

地名の由来は、アイヌ語で「川下の人の漁場」を意味する「パナ・ウン・クル・ヤソッケ」 に由来するとか、単に「川下の人」を意味する「パナ・ウン・クル」に由来するとかの説があるようですが、「ヤソッケ」があるかないかの違いで、「パナ・ウン・クル」は間違いないということなんでしょうね。

「パナ・ウン・クル」がいう「川下」というのは、石狩川において、旭川市の神居古潭よりも下流という、相当な長い区間のことを指すようで、アイヌの人々の間では、旭川に近い深川、滝川あたりの人々を「パニウングル」と呼んでいたことがあるようです。

それがなぜ、遠く離れた石狩市の地名の由来になっているのか、興味深いところです。

因みに、「ヤソッケ」に関しては、ここよりずっと北の、旧厚田村の管内に「安瀬」と書いて「やそすけ」という地名があります。

 

 

御祭神は五柱と多く、水難除け、海上・交通安全、病気平癒、地域・家内安全などの御利益があるそうです。

 

 

五柱のうち、最初は「金刀比羅之大神」を祀ったのが最初なんですね。

元々は岩手県からの入植でしたか。

 

 

 

境内には沢山の記念碑があります。

 

 

最初の入植とは別に、石川県からやってきた人たちによる開拓の歴史もあるそうです。

 

 

 

 

現在の石狩市は、「石狩湾新港」の発展に伴う海運の町というイメージが強いようですが、水田により発展してきた歴史があるということは知りませんでした。

 

 

 

 

最初の入植に関する碑のようですが、「盛岡県岩手郡」って、逆(「岩手県盛岡郡」)じゃないのって思うかもしれないけど、そこは明治期の話。

現在の北海道にも、開拓使廃止直後の「三県一局時代」には、「札幌県」「函館県」「根室県」という三つの県が存在していたことがありました(明治15年(1882年)2月8日から、同19年(1886年)1月29日まで)

碑に書かれている「盛岡県下陸中国」とは、現在でいえば、岩手県北部の、「雫石町」、「葛巻町」、「岩手町」の辺りだそうです。

 

 

 

また石川県人による開拓の歴史が出てきましたよ。

最初の岩手県からの入植は、召募された人たちによるものだったそうだけど、石川県からも、北海道への開拓移住を考えている人たちを募集した結果、「加賀団体」という団体が入植してきたそうです。

かつて「花畔村」と呼ばれていた地域には、他にも、山口県や宮城県など、多くの地方からの開拓移民が来ていたそうです。

 

 

 

戦争や平和に関する記念碑もあります。

祀られている戦没者の戦没場所は、アリューシャン列島、樺太、中国、ガタルカナル、ニューギニア、テニアン(北マリアナ諸島)、フイリピン、ビルマ(現ミャンマー)、硫黄島、沖縄、シベリア収容所と広範囲に及んでいるそうです。

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