FORTY THREE-SEVEN

43カーモデルとその他の事柄
その他の方がたぶん多い

Mysterious Miura

2006-07-02 16:45:18 | 43


Lamborghiniイオタこれほど人を惑わす車も他にないだろう
なんて フレーズよく見ますよね
じゃあ原型になったmiuraはどうなのよ???
アレがガンちゃんの仕事ではないと言う説は根強いらしく
ガンちゃんもインタビューされるたびにうざそうに
「俺の仕事だよ」と回答してるようです
私が疑っているのはそんなことではありません
1965年のトリノショーに出品されたベアシャシーP400は
世界に衝撃を与えそれは翌年2シータークーペボディをまとい
miuraが誕生します
コレだけを見ると何のことはありません
しかしP400とmiuraはホイールベースが違います
翌々年の1968年に発売されたIsleroはなぜかコレだけ社内デザインです
え?何を言わんとしてるか分からないって??
私が言いたいのはmiuraってホントはFRなんじゃないの?
と言うことなのです
え?何バカなこと言ってるんだって??
いえいえ、真上からmiuraの写真を見てください
リアカウルの一番後ろはトランクルームになっています。
ココの容量はだいたいゴルフバッグ2個分でアメリカ市場を
ターゲットにしてることがうかがえます
ちょっとまってください このリアカウル後にガバって開くんですよ。
カウル後に開いたら中の荷物は???
それともうひとつリアカウルについている排気管。
アレはダミーと言いますかカットアウトで
カウルについて動いて要するに排気管の先端につく飾りに過ぎません
この2点いかにも不自然じゃありませんか??
スカリオーネデザインの350GTVは今見てこそすばらしいデザインですが
当時としては早すぎたのか、市場では不評でライト回りなどをコンベンショナルな
デザインに変更を余儀なくされました。
そしてガンちゃんは日本の雑誌のインタビューに答えています
「miuraは革新的ではなかった、時代の先端にはいなかった」と
「その代わりすぐに受け入れられた」とも言っています。
Miuraとは350GTVのやり直しとしてデザインされたものではなかったのか
あのベアシャシーがあまりに反響を呼んでしまったために急遽市販せざるを得ず
そのためFRとしてデザインされたmiuraのボディを急遽合わせこんだのではないか
それはIsleroとして発売されるべきモノではなかったのか
このデザインを使ってしまったために400GTのモデルチェンジは
自社デザインで賄わざるを得なかったのではないか
50mm短いホイールベース20mm広いトレッド もしFR miuraが実現していたら
ボブ ウオレスのいうベストLamborghiniはJaramaではなくこの車になっていたことでしょう。
そしてあのP400と言うベアシャシーこそ、ガンちゃんとスタンツァーニのシャレで
従来のコンセプトカー(コンセプトカーと言うのはドンガラだけのものが多くあります)
に対する皮肉で「中身だけのコンセプトカー」だったのでないでしょうか
分かってると思いますがこの話の大部分はワタクシの妄想です
気まぐれ日記パリ編最終回miura氏の帰国を記念した
駄文です
よって資料的価値はありません


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 外出 | トップ | 土曜日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

43」カテゴリの最新記事