3月11日のこと。(その2)
しかしながら、最初は正直なところ他人事の不安だった。
家が海沿いにあるわけではないので、「大津波警報」と聞いても実感は湧かない。
早くみんな逃げてくれればいいけど、と漠然と思うだけのことだ。
被災地の中にいる、と実感しはじめたのは夕方になってからのことだった。
家族で付き添いのシフトをしているのだが、夕方の当番になっている長男と連絡が取れない。
まず携帯が繋がらない、というのが最初の障害だった。
夕方からの当直の看護師の人に
「海側から二本目までの橋は通行止めになっているみたいだよ」
と教えられ、昨日走った橋が落ちたのか、と思うと急に怖くなった。
家族同士でなんとか連絡を取り、長男は学校帰りに大渋滞に巻き込まれていることを知り、もう一晩そのまま病室に泊まることにする。
しかしこの時点ではまだ、一過性のよくある出来事としか考えていなかった。
父親の病状は一週間過ぎたあたりから小康状態となり、家に帰りたいと言い始めていた。
年寄りの長期入院は体力的にも認知の面からも、それ自体が高リスクである。
しかし、高齢者の気胸(咳き込んだときなど、肺に小さな穴があく病気)はなかなか塞がらないのだという。
病気と体力低下、相反するリスクをマネージメントしながらの治療は、なかなか簡単ではない。
病室の外のことは世間の人に任せておこう。
夜になってもまだそんな風に思っていた。
しかしながら、最初は正直なところ他人事の不安だった。
家が海沿いにあるわけではないので、「大津波警報」と聞いても実感は湧かない。
早くみんな逃げてくれればいいけど、と漠然と思うだけのことだ。
被災地の中にいる、と実感しはじめたのは夕方になってからのことだった。
家族で付き添いのシフトをしているのだが、夕方の当番になっている長男と連絡が取れない。
まず携帯が繋がらない、というのが最初の障害だった。
夕方からの当直の看護師の人に
「海側から二本目までの橋は通行止めになっているみたいだよ」
と教えられ、昨日走った橋が落ちたのか、と思うと急に怖くなった。
家族同士でなんとか連絡を取り、長男は学校帰りに大渋滞に巻き込まれていることを知り、もう一晩そのまま病室に泊まることにする。
しかしこの時点ではまだ、一過性のよくある出来事としか考えていなかった。
父親の病状は一週間過ぎたあたりから小康状態となり、家に帰りたいと言い始めていた。
年寄りの長期入院は体力的にも認知の面からも、それ自体が高リスクである。
しかし、高齢者の気胸(咳き込んだときなど、肺に小さな穴があく病気)はなかなか塞がらないのだという。
病気と体力低下、相反するリスクをマネージメントしながらの治療は、なかなか簡単ではない。
病室の外のことは世間の人に任せておこう。
夜になってもまだそんな風に思っていた。