monologue
夜明けに向けて
 




亦所塞其黄泉坂之石者、號道反之大神、亦謂塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。

これは黄泉國の条の最後だが読み下し文にすると
「またその黄泉の坂に塞(さや)りし石は、道反之(ちがへしの)大神と號け、また塞(さや)り坐す黄泉戸(よみど)大神とも謂ふ。故、其の謂はゆる黄泉津比良坂は、今、出雲国の伊賦夜(いふや)坂と謂ふ。」

 古来、この伊賦夜坂を実在する土地に見つけようと多くの人々が試みたが果たせなかった。島根県東出雲町には 伊布夜神社があって「黄泉の国の入口」を主張している。またイザナミの終焉の地は、『古事記』では 「故、その神避りし伊邪那美神は出雲國と伯伎國との堺の比婆の山に葬りき。」と書かれていて国生み神産みの後、イザナミは死んでイズモとハハキの境にあるヒバの山に葬られたということになっているのだが、現在の出雲(島根)と伯耆(鳥取)の間には比婆山は見当たらず広島県にあり、黄泉とは熊野を指すという説もあってなかなかどこと特定しがたい。

 はたして「伊賦夜(イフヤ、あるいはイフヨ)坂」とはどこに存在するのか。どうしてそんな名前がつけられているのか…。その謎を解くために唐突だが無関係に思える「ひふみ図 」を使おう。そうするように導かれているのだから…。
この図の「い」から中心の「ふ」そして端の「や」あるいは「よ」までを結ぶ線を引いてみる。すると上下左右を貫く二重十字が現れる。こうして見直すと今度は二重十字が井桁になり柱の部分が「ふ(二)な(七)」になっている。黄泉坂を塞ぐ石は道反(チがえし)大神と名付けられ塞坐(さやります)黄泉戸大神ともいうのだが中央の「ふな」が戸になっているので道祖神は、フナトやクナト神と呼ばれることがこれでわかった。「伊賦夜坂」とはこの図を解く鍵としてつけられた名前かもしれない。いよいよ黄泉の「戸(十)」を開く時がきたようだが戸は二重になっていたので一度目の岩戸開きでは足らなかったのかも…。
fumio

 




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