monologue
夜明けに向けて
 



 ケーゾウの幼なじみで中学の同級生にヤッチという男がいた。ケーゾウは普通高校に受かりヤッチは定時制に進んだ。ふたりはそれぞれ剣道部に入りケーゾウは二段になりヤッチは大会で優勝するほどの実力で三段になる。一年上のヒロアキという先輩がバンドをやろうとヤッチを誘うのでギターを担当すると当時、京都でブームになってきたブルースを主に演奏することになりボーカルのヒロアキの苗字の青山とコーヒーの銘柄をかけてブルーマウンテン・ブルースバンドと名乗った。そして8月8日に決勝が万博広場で行われる88(ハチハチ)ロックデイというバンドコンテストに出場して万博広場での決勝に残り賞をもらったがヒロアキが一足先に卒業したので解散状態になっていた。

 わたしがよく行った音楽喫茶「ジョイ&マリ」にかれらがやってきてバンドの話しをした時、わたしがボーカルをやることにしてヒロアキから桃山高校の軽音楽部の部室に置いたままのボーカルアンプを買い、渡米までバンドの練習を始めた。授業後の練習が終わるとよくヤッチの家に集まった。ヤッチはその頃、アフロヘアにしていたので近所の子供に、「あッ、コーヒービートのお兄ちゃんや、」と指さされていた。ヤッチの親は子供には全くかかわらず二階のヤッチの部屋には来なかった。そこでレコードをかけたり楽器を弾いたり天才肌のヤッチの早弾きギターをフィーチャーした16(シクステーン)ビートの曲を作ったりわたしの作った曲を教えたりして夜を明かしたものだった。

  そして今ヤッチ はギタリストとして名を挙げ現在京都のライブスポットRAGなどでライブ活動している。昨年2009年7月16日(木)には『西野やすし & THE KANSAI』with『blue mountain blues band 35th Anniversary』と称してブルーマウンテン・ブルースバンドの35周年記念イベントを催していた。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )