monologue
夜明けに向けて
 



  昭和49年10月20日(日)第9回京都滋賀職域団体将棋大会で優勝した松下電子工業Bチームは主催紙である京都新聞の将棋欄を担当する南口 繁一(みなみぐち しげかず)八段と角落ちの記念対局をして新聞に掲載されることになった。わたしたちのチームは一級が三人と高槻の中井捨吉先生の道場に通って初段になった一人で構成されていた。

角落ちということでみんなで定跡の研究して用意した。当日、記者の方がわたしたちの段位を訊かれるので一級が三人と初段が一人のチームであることを告げた。するとなんだか気落ちされたようで南口先生に「優勝されたのだから、全員に初段を認めるというわけにはゆきませんか」と問う。南口先生は首を縦にふらないままに対局が始まった。安東さんというメンバーが代表で指してわたしたちはむづかしい局面で相談して指し手を決めるという方式だった。研究してきた変化かすぐに外れ一気に悪くなった。いくら相談しても無駄だった。プロの強さをまざまざと見せられて負けてしまった。


 対局が終わったあとで記者がまた「優勝メンバー全員に初段を認めるというわけにはゆきませんか」と何度も南口先生に打診した。ある程度の段位のメンバーがいないようなチームが優勝しては大会の権威が軽くなるのかもしれなかった。それでも南口先生はOKしなかった。わたしは残念なような清々しいような気がした。囲碁でも普及のために政治家や有名人に実力以上の高段を贈るということを耳にする。中井捨吉先生や南口繁一先生の時代の棋士は厳しくて素人に対しても真摯に接してくれたようである。
fumio

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