その時代、京都にはわたしが出演できるようなライブハウスというものがあまりなかった。そんな場所を探しているうちに新京極に新しい軽食喫茶店ができた。そこにはまともなPAシステムとステージがあってライブ演奏ができるようになっていた。それでわたしは毎週日曜日に弾き語りを始めた。ほとんどオリジナル作品で少しリクエストのサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」などを歌った。その頃、「川村 尚(かわむら ひさし)デデ」という名前で近畿放送=現KBS京都でPOPS IN PICTUREという洋楽テレビ番組をやっていた川村 龍一(かわむら りゅういち)がそこで収録したものだった。
そのうちわたしは音楽誌で伏見桃山にあるジョイ&マリという店でもライブをやっているという記事を見つけたので行ってみた。ところがそこは定期的にライブがあるわけではなかった。ミュージシャンのたまり場になっていて好きなレコードをマスターのジョイさんにかけもらってあれこれ話していたのだ。あるギタリストが音楽をやるなら「ジャズコード理論講座」という本で勉強した方がいいと奨める。それまで歌うには理論はいらないと思っていたが「十字屋」という音楽店に買いに行った。在庫がなくて困ったがケーゾウが基礎編を持っているというので借りて読んだ。ケーゾウは応用編を買って勉強した。ケーゾウは将来音楽で身を立てるつもりだったのである。わたしもやっと「十字屋」に入ってきた基本編と応用編を購入して集中して勉強した。ジョイ&マリという店はわたしにミュージシャンとしての知識を身に付けさせてくれたので感謝している。たまにそこでライブが企画されるとわたしが歌い多くの客兼ミュージシャンが楽器を担当して楽しんだのであった。
fumio
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