その頃、関西の三大ギタリストといえば大阪の上田正樹の「South to South」のクンチョーこと堤和美、京都の「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」の塩次伸二 、大阪の「憂歌団」の内田勘太郎、という定説があった。クンチョーはファンク系、塩次伸二はブルース系、内田勘太郎はボトルネック奏法でそれぞれに世界を築いていた。その中で塩次伸二は人なつっこくてライヴのあとで会場の外に出てきて集まったファン兼ギターキッズたちとの交流を楽しんだ。わいわい、ブルースや音楽談義をして最後に「おまえらもがんばれよ!」とプロを目指す後輩たちにはげましの声をかけるのであった。わたしはステージ上でブルースギターを弾く姿とのギャップが大きいなと感じた。
その塩次は2008年10月19日、栃木県佐野市での公演のリハーサル後、心不全のため急逝した。仲の良かったギタリスト、ヤッチはその報せを聞いて京都のライブハウスの楽屋で号泣したという。あの熱かった時代を支えた人々がすこしずつ姿を消して行く。今はその残照もすこしずつ薄れ行き、やがては新たな 光が差すのだろう。合掌。
fumio
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