ミヤシタは来るものは拒まずだったのでかれのスタジオ兼ホームにはその頃米国で大ヒットしたハリウッド制作戦国ドラマ「Shogun」のヒロイン島田陽子もやって来た。
そしてある時、勝新太郎は歌がうまいのでたった一度だけミヤシタのアコースティックギターのバックでライヴを行ったことがあった。
そして、ミヤシタは81年に自分のユニット「富実夫FUMIO」をふたりの気のいい黒人、向かって左LANCE FOOKS(guitar) と右CALVIN HARDY(bass)とで結成して「DIGITAL CITY」というポップなアルバムを作った。「DIGITAL CITY」 の見本盤を見ると宮下は「to fumio yamashita family FUMIO富実夫1981 10 31 」と細いペンで手書きしている。そしてしばらくしてかれはアメリカを去った。それから日本での本格的活動が始まる。宮下の歩むべき道はアメリカではなく日本に用意されていたのである。
この間うちに来た中島茂男の話ではギターのLANCE FOOKSは音楽業界で成功して豪邸に住んでいるという。時代の波に乘ったのだろう。
fumio
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