「カリフォルニアサンシャイン」againその13
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クラスの構成はイラン50パーセント、ラテン系30パーセント、日本10パーセント、その他10パーセントといったところだった。雑多な人種が混じり合いそれぞれの目的のために英語を学んでいた。一大勢力のイラン人が常にワイワイ発言し日本人はおとなしかった。ラテン系は冗談好きでわたしに「ジョソイ・ロコ」と言えという。わたしがそういうと大喜びした。それは「ぼくは頭がおかしい」という意味だった。当たってはいるけれど言え、といっておいて言ったからといって、バカにして囃すのは子供みたいだった。それぞれに民族性が違うことを知ることができて良かった。あるとき隣の席のアルゼンチン娘が「男のものは日本語でどう言うの」と
訊く。わたしはそんなことを訊かれると思っていなかったので虚を衝かれて外国人にどう教えたらいいのか、あなたもきっと迷うように少し迷ってノートにchin chinと書いた。すると、そうチンチン、わたしの国では女のほうはこういうのとラテン語らしいスペルをノートに書く。わたしは確かめるためにその言葉を発音してみた。すると突然態度が変わり「声にだして読まないで」と眉をしかめて怒りだした。自分が先に訊いておいて勝手に怒るな、と思ったがまわりのラテン系の人には意味がわかるから戒めたのだろう。おかげで一瞬見たその言葉は覚えることができなかった。残念なようなそうでもないような気がした。かの女はのちに米国永住権を得るために日系人ではなく中国系アメリカ人と結婚したからあの日本語はかの女の語彙に入らず忘れ去られてしまったことだろう。残念なようなそうでもないような、どうでもいいような…。
日本人は大学に入るための英語力アップが目的の人が多く正しい英語を話そうとする。議論も考えてから喋るので口が重かった。他の民族は文法的に合っていようが合っていまいがお構いなしにとにかく喋りまくるので上達が早かった。イラン人たちはみんな大声で意見を述べ合うのだがその中にも思慮深げな人物はいて、みんなが騒いだあと静かに締めのようなことをいう。そして他民族の代表のようにわたしにも意見を訊く。わたしは部外者としての意見を述べた。かれらはチェスが好きで昼休みも休み時間も集まって楽しんでいた。チャンピオンらしいヒゲの男が脇を通ろうとするわたしを見とがめてチェスをしようと誘う。他民族代表としてわたしをチェスという知的競技に誘っているようだった。わたしは日本将棋は好きだったがチェスはあまりやったことがなくどうせ歯が立たないから断った。勝負するのなら勝てないにしてもいい勝負ぐらいにはしたかったから。
そしてある日「ボビー・フィッシャーのチェス必勝法」という本を図書館で借りて帰った。何日か真剣に勉強してチェックメイト(詰み)のテクニックや基本定跡を覚えて、昼休みに集まって騒いでいるチェス好きのそばに素知らぬ顔で近づいた。やはり一通り対戦相手に勝ったクラスのチャンピオンが手持ち無沙汰になってわたしを誘うので仕方なさそうに受けて立った。油断していたらしく局面は覚えた定跡通り進み、チャンピオンは不思議そうに自分のキングを倒した。かれはボビー・フィッシャーに負けたようなものだった。申し訳ないような気がした。いくら強くても自信過剰で定跡にはまるといけない。
fumo
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