monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインagainその24
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やがて当然のようにマリポサ通りのアパートを借りてふたりで暮らし始めた。
 そのうち、ふたりが結婚することは学校中の衆知の事実のようになった。ある日、クラスにふたりで帰ってくると突然先生も生徒もみんなでサプライズ!コングラチュレーションズと叫ぶ。サプライズパーティが始まったのだ。贈り物やカンパの金を渡され、なにか歌えと所望される。それで結婚します「♪恋が計算通りにできるなら、こんな女(男)に惚れたりしなかった。あれこれ迷ってそろばん 弾き、それでもやっぱりこいつに決めた~」karaokeと日本語だったけれどふたりで自作の歌を披露した。今にして思えばあのイスラエル軍パイロット出身の男はキューピッドだった。名前はもう忘れてしまったが今頃どこでどうしていることだろう。わたしたちの名前も忘れてしまっただろうか。そう、縁結びの神は海外出張して多くの糸の中からふたりを選り分けて結んでくれたのだ…。
fumio


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カリフォルニアサンシャインagainその23
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 「今度入った日本娘きれいだぞ、フミオ、」イスラエル軍のパイロットだった生徒がある日、ニヤニヤする。その娘はわたしの後ろの席に座った。それが一生の伴侶との邂逅の瞬間だった。今もそのとき覗いた瞳の輝きを鮮やかに覚えている。いろいろ学校のことや英語のことを尋ねてくる。わたしは隣に移動する。妹夫婦の結婚式に喚ばれて式に出席したのだがせっかくアメリカに来たのだからしばらく滞在して英語を覚えたいから入学したという。授業が終わるとサンタモニカのアパートへ車で送った。サンタモニカ方面の道はヘビー・トラフィックで慣れていないので運転初心者のわたしにはとてもこわかった。
 それから現在までかの女は毎日、わたしとともに過ごすことになった。 昼休みには車で食べに出た。一番頻繁に通ったのは学校に近かったラ・ブレア・タールピッツ にある美術館博物館群のひとつLAカウンテイ・ミュージアム のカフェテラスだった。その頃まだアメリカには余裕があってそれらの施設の入場料はタダだった。画学生たちが名作の前で何時間も模倣している。世界最高級の美術品をじっくりゆっくり堪能できた。そのカフェテラスのサラダは一人前をふたりで食べても食べきれないほどの量があった。
fumio

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カリフォルニアサンシャインagainその22
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色々な人々がわさわさ来るうちにある日、沖縄人が集まる店の女性オーナーがやってきて自分の店でエンターテイナーをやってくれないかと頼む。
店のステージで琉球舞踊や蛇皮線音楽のパフォーマンスをしているのだけどお客さんがあまり来ないのであなたに頼みたい。ペイは店が苦しいから30ドルしか出せないけれどお願い、という。わたしはエンターテイナーの相場とかも知らないし、生活ができれば良かったのでOKした。その店はLAPD(ロサンジェルス警察)のそばにあって沖縄語で「あしび」といった。日本語で「遊び」の意味だという。店には特別に沖縄や琉球の雰囲気はなかった。お客さんも沖縄人ばかりというわけではなく一般の店と変わらなかった。従業員たちも若い女性が多いので洋楽中心に演奏できた。ビートルズが好きなので
「オール・マイ・ラヴィング」を歌ってほしいとリクエストされたりした。ビートルズはわたしにとって基本なのでリクエストがあればうれしかった。そんなこんなで従業員たちには評判が良かった。そのうちハリウッドの「蝶」という店で働いてほしいとオファーされた。その地区はアダルトシアターが多くてペイは50ドルで日本人のお客さんが多かった。頼まれるとなんでもOKして生活が安定してきた。一般の仕事の最低賃金がまだ時間あたり2ドルの時代でエンターテイナーは特別に恵まれていたのだった。
fumio


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リフォルニアサンシャインagainその21
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エンターテイナーの仕事のペイは一晩50ドルだった。店が終るとオーナーのロイさんがチェックに50ドルと書き込んでくれた。翌日銀行で換金する。日本では給料を小切手でもらったことがないので変な気がした。こんな紙に金額とサインをしてあるだけで通貨に変わるのかと、ちょっと不安になりながら朝一番に銀行に出向いた。しかし銀行に金がまだ振り込まれていないという。それで振り込まれるのを待った。それでやっと初めてのペイが通貨になったのだった。
レストラン「栄菊」のナイトクラブにエンターテイナーが入ったらしいという噂を聞きつけて多くの人々がやってきた。
わたしは蝶ネクタイをしてなるべくそれらしい格好でエンターテイナーらしく振舞った。主にスタンダードナンバーを選んで演奏した。すると、やがて引き抜き合戦が始まった。
fumio

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