「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「お見えになる」

2006年02月27日 20時25分13秒 | Weblog
 
 きのうに続く日本語ネタです。

 過日の読売新聞に、「先生がお見えになります」は過剰敬語だという記事が載っていました。

 どうして過剰敬語なのか分からなかったので、読売新聞に電話で問い合わせました。

 すると担当の人も迷って、ちょっと調べてくるといって席を離れました。

 その結果、「先生」が自分の担任の先生くらいだとすると、「来られます」でいいだろうとのこと。

 もっと偉い先生ならば「お見えになる」でいいが、この記事の文面だけでは確かに不明瞭だったと詫びていました。

 他の読者からの質問などはなかったそうですが、天下の読売新聞の不備を指摘してしまいました。(^^;)
 

 ところが、それを受けてのことなのかどうか、数日後の読売新聞の「日本語日めくり」という欄に、「お見えになる」が取り上げられていました。

 「見える」はそれ自体が「来る」の尊敬語なので、「お~になる」と合わせると形の上では二重敬語になる。

 ただ「見える」の敬意は低めで、重ねてもさほど過剰ではなく広く使われている。

 文化庁の世論調査でも、82.9%の人が正しい使い方だと答え、定着を裏付けている、という内容でした。

 電話で読売に問い合わせた時と内容が違っています。

 また過日の記事は、日本語が誤って使われているという趣旨でしたが、「日本語日めくり」の記事は、「お見えになります」は過剰敬語だが定着している、という記述でした。

 同じ読売なのに、ニュアンスが逆になってしまっています。(^^)
 
コメント
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