「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

境界性人格障害の心理的メカニズム--「分裂(splitting) 」(1)

2006年07月16日 18時15分25秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37630605.html からの続き)

 100かゼロか、善か悪かの 「分裂(splitting) 」も ボーダーの特徴です。

 これも 生育歴に要因があります。

 乳児というのは最初、母親との無限の一体感 の中にいるものです。

 自分と母親との 区別も付いていません。

 そのうち、自分とは別の母親というものを 意識できるようになります。

 母親は 赤ん坊におっぱいを与えてくれる 良いものですが、

 ときには 赤ん坊の望み通りのことをしてくれない 悪いものになることもあります。

 しかし赤ん坊は、一人の母親の中に 良い面と悪い面があるという

 矛盾をのみこめません。

 どちらも同じ母親だ という知覚ができないため、

 良い母と悪い母は 別々の存在だと思ってしまいます。

 良い母は もっぱら柔和な面差しの母親、

 悪い母は 四六時中意地悪な面つきの 別個の母親です。

(これは、善良な母親のイメージを 悪どい母親に犯される不安から 身を守るために、

 心理的に両者を分離させる 原始的な防衛メカニズムであるとも言われます。)

 でも 育っていくにつれて、どちらも同じ一人の母親なのだということが

 理解できるようになっていきます。

 ときと場合によって 母親の色々な側面が出るのだと、

 認識が統合されていくのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37696804.html
 
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境界性人格障害の心理的メカニズム--「見捨てられ感」(3)

2006年07月15日 11時03分26秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37590496.html からの続き)

 いずれの場合でも、子供は主体的な人格を 育成できなくなります。

 独り立ちできない、見捨てられるのを無意識に恐れる 子供になってしまうのです。

 親に見捨てられるということは、自己の全存在を 抹殺されることと同じなのです。

 そして 大人になってからも、人に見捨てられることが恐くて、

 誰かに依存しなければ 生きていけなくなってしまいます。
 

 ボーダーの人の親もボーダー、ないしはボーダー的である というのはよく言われることです。

 親の親から 連綿と受け継がれてきた場合もあるでしょう。

 遺伝ではなく、環境による世代間連鎖です。

 この悲劇の再生産を 断ち切る尽力をしていくことが、

 我々の世代に 要請されていると思います。

(なお現在は、ボーダーには 遺伝的,生物学的な因子が第一にあって、

 それに環境要因が加わって 生じると言われています。)
 

 ボーダーの人は 世の中の灰色に染まらず、

 “大人”になることを 拒否しているかのようにも見えますが、

 これは 見捨てられ感が関与すると言われています。

 大人になるというのは 親の傘の下から外へ出ていくことで、

 見捨てられ不安が 呼び起こされてしまいます。

 そのため 純潔な子供であり続けますが、

 それは プラスとマイナス両面の アンビバレントな価値をはらんでいるわけです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37676178.html
 

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境界性人格障害の心理的メカニズム--「見捨てられ感」(2)

2006年07月14日 11時45分08秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37560460.html からの続き)

 愛情のない親とは逆に、子供を いつまでも自分の下に置いておきたい 親の場合にも、

 見捨てられ感は生まれます。

 このような親は、子供が離れていくと 不安になって 我が子の成長を喜べません。

 そのため 子供自身も 自立するのが良いことだと思えなくなり、

 親から分かれていくと 自分は見捨てられると感じてしまいます。

 一個の人格として、親から健全に分離していく プロセスの失敗です。

 そして 親から見放されないために 無理にいい子を演じたり、

 親に喜ばれるために 本心を偽ったりするようになります。

 その結果、親から独立した自分のあり方を 見失ってしまうのです。

 子供が親元から巣立つべきときにも、親は何かと理由をつけて

 子供を身辺に留まらせようとします。

 子供がそれに背けば見捨てるぞという、無言のメッセージを発するのです。

 これは、子供のことを 何でも自分で決めてしまう 管理的な親の場合も同様です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37630605.html
 
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境界性人格障害の心理的メカニズム--「見捨てられ感」(1)

2006年07月13日 18時42分08秒 | ボーダーに関して
 
 ボーダーの特徴に 「見捨てられ感」 というものがあります。

 生育過程において、親からの愛情が 適切でなかったために生じるものです。

 通常、子供は育つにつれて 一歩一歩 親から離れていきます。

 親は子供の成長を喜び、愛情を注ぎつつ 温かく見守ります。

 子供は、振り返れば 親の慈悲深い眼差しがあるのを確かめながら、

 心置きなく 独り歩きしていけるのです。

 しかし このとき、子供が 愛情を受け取れない親の場合だと、

 振り返っても 誰も見えません。

 子供は 親から見放されたのだと感じて、

 「見捨てられ感」 を抱くようになってしまいます。

 それが 愛情飢餓につながるのです。

 ボーダーの人が 愛情を得られないときに見せる 凄まじい怒りの裏側には、

 このような 底知れない寂しさがあるのです。

 それに対峙することができないため、無意識に怒りを募らせ、

 堪えがたい寂寥感から 逃げているのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37590496.html
 
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自閉症の実話映画 「マラソン」

2006年07月12日 19時28分49秒 | 映画
 
 自閉症と知的障害を合わせ持つ 実在の青年の話を元にした、

 韓国映画 「マラソン」 です。(2005年)

 とても良く作られていて、素直に泣けてしまいました。

きのうの記事( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37454634.html )に書いた

 自閉症児のお父さん・山下久仁明さんも この映画を称賛しています。

http://bokuumi.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_78a7.html

 自閉症の当事者・関係者の間でも 評判がいいそうで、自閉症への理解を 深める作品でしょう。
 

 自閉症の我が子を思う余り、全て自分が子供を守ろうとする母親、

 その母親のしつけを 忠実に守ってきた息子……。

 二十歳になったその息子が マラソン大会への出場を通して、

 母親の手元から自立し、母も子離れしていく瞬間を、

 実に見事な映像で 表現していました。

 決して押しつけや お涙頂戴ではない感動,自閉症に対する安易な知識を 裏切るユーモア,

 デリケートな感性を漂わせて、ラストもファンタスティックです。

 主演・チョ=スンウの演技も、非常に自然でリアル、秀逸なものでした。
 

 山下さんの 「ぼくはうみがみたくなりました」も、

 日本の「マラソン」のような 映画になればいいと思います。

 そして、σ (^^;)の 「境界に生きた心子」も……。
 
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自閉症児の小説「ぼくはうみがみたくなりました」映画化の NHKニュース

2006年07月11日 12時55分03秒 | 心理
 
 先日の記事( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/33322550.html )で、

 自閉症児のお父さん・山下久仁明さんのことを 紹介しました。

 山下さんは、自閉症児を主人公にした小説

 「ぼくはうみがみたくなりました」 を出版されています。

 しかし過日、自閉症であるご長男が 事故で亡くなってしまいました。

 山下さんは ご長男の死に押されて、

 「ぼくうみ」を どうしても映画化したいと 活動しておられます。

 それがNHKで取り上げられ、今月13日(木)午後9時

 「ニュースウォッチ9」 の特集コーナーで、放送される予定になったそうです。

 関心のある方は ぜひご覧になってみてください。

(山下さんのブログの記事
http://bokuumi.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/713_nhk_91eb.html )

 
 僕も 拙著「境界に生きた心子」を原作にして、境界性人格障害の理解を 広めるような、

 コミックや映画の企画を 書いていきたいと思っています。

 山下さんの活動が 着実に進みはじめたのが とてもうらやましいとともに、

 触発されて 僕も頑張らなければと思います。
 
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ネット書店 本「延命」

2006年07月09日 15時05分27秒 | 「境界に生きた心子」
 
 今日の朝日新聞に、上記タイトルの記事が載っていました。

 従来、書店で売れない本は 短命で絶版になるのが 出版界の常識でしたが、

 ネット書店の普及で それが崩れつつあるということです。

 現在 日本では、日々 約200冊の新刊本が 次々と市場に送り出され、

 また 大量の雑誌を店先に置くため、

 一般の書店では 売れ筋の本で 売り場を占められて、

 売れ行きのよくない本は ほんの数ヶ月で 店頭から引き上げられていきます。

 しかしネット書店は 書棚の制約がないので、

 店頭から撤退した本も 読者の目に触れるのを ゆっくり待つことができます。

 関連本を紹介する 「おすすめ機能」も、本を探す手助けとなります。

 これまで業界では、売り上げが上位の少数の本によって 大半の利益を得ていましたが
(「パレートの法則」)、

 ネット書店で 細く長く売れる本の 収益の比重が、倍増してきているそうです
(「ロングテール現象」)。
 

 拙著「境界に生きた心子」ですが、去年の2月に発刊後 半年ほどで店頭から見えなくなり、

 Amazon でも 売り上げランキングが上がらず、ジリ貧になっていきました。

 ところが、今年の3月頃から なぜかAmazon のランキング上昇が復活し、

 今も継続的に 売り上げを伸ばしています。

 推測できる原因としては、今年3月頃に 拙著をテーマにした

 mixi (ミクシィ) のコミュニティが できたことが考えられます。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=655901 

 また、当方のブログで 光市母子殺害事件や 木下あいりちゃん殺害事件の 記事を書いたとき、

 アクセス数が爆発的に激増して、そのなかの何人かの人が

 拙著に関心を持って、購入してくれたのではないか とも推察できます。

 でもそれだけでは 説明できそうもなく、売り上げが復活した 正確な理由は分からないのですが、

 ネット書店なくしては こういうことはないわけで、

 本当に ありがたいことだと思っています。(-人-)
 
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月刊「シナリオ」誌に「境界に生きた心子」紹介

2006年07月08日 12時03分57秒 | 「境界に生きた心子」
 
 以前 共に仕事をしていた 編集者の人が、雑誌で拙著を紹介してくれました。

 シナリオライター志望者向けの 月刊「シナリオ」誌(映人社)です。

 許可を得て、紹介文を引用させていただきます。

「心子。35歳。

 彼女は 『境界性人格障害』(境界例/ボーダー)という 心の障害を持っている。

 感情の起伏がすさまじく、些細なことでキレたりうつ状態になり、

 自分をコントロールすることができない。

 本書は、そんな彼女と “しがないシナリオライターである”著者との

 愛の交流を綴ったノンフィクション。

 付き合いはじめて1年余り、心子は ホテルの最上階から 飛び降り自殺をする……。

 現代に増えつつあるという 心の障害を、深く理解するための 案内書ともなっている。」

 シナリオライター志望の読者は、ボーダーというテーマよりも、

 “しがないシナリオライター”に 興味をそそられる人は いるかもしれませんね。( ^^;)
 

 この編集者の人は 拙著を読まれたとき、

 僕がこんなすごい体験をしてたのか と、ショックを受けたそうです。

 拙著は 結構すさまじいことも書いているだけに、

 僕を直接知っている人にとっては 何か生々しく、

 抵抗感を感じて 読みにくいような場合もあるのかもしれません。

 でも、僕が本当に一生懸命 心子と接したということが、

 よく分かると言ってくれます。
 
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木下あいりちゃん殺害事件判決(5)

2006年07月07日 10時48分26秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37239061.html からの続き)

 凶悪犯人に対する厳罰化を望む 昨今の国民感情は、

 幼い子供が殺害される 犯罪報道の増加や、体感治安の悪化、

 そして、本村さんの登場などで 被害者の声が大きく取り上げられ、

 国民の耳に届いた ということがあるでしょう。

 逆に言えば、今まで被害者の存在が いかに疎外されていたか ということです。

 被害者感情が理解されるようになったのは 非常に喜ばしいことですが、

 これから裁判員制度を迎えて 安易な報復感情に左右されないよう、

 死刑制度の裏表も 国民に知らせる必要があると思います。

 
 市民の裁判員が量刑も決める 裁判員制度が始まると、

 今までより 死刑判決が増えるでしょうか? 

 でも、いま無責任に 死刑の大合唱をしている人たちが、

 いざ裁判員になって 自分の責任で 死刑判決を下すということになると、

 急に恐くなったりしはしないでしょうか? 

 人を裁くこと自体 敬遠する人も多いなかで、

 自分の判断で犯人を殺すことができる人は、あまり多くはないのではないか という気もします。

 
 まだ多くの問題を抱えている 裁判員制度ながら、

 不安と期待をもって 待ち受けたいと思います。

 一生の間に裁判員になるのは 数人に一人 ということのようですが、

 僕は選ばれたら 是非やってみたいと思っています。
 
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木下あいりちゃん殺害事件判決(4)

2006年07月06日 11時58分04秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37191240.html からの続き)

 一昨日の無期懲役判決に対して 著名な某キャスターが、

 日本では 少女に性的暴行をして殺しても死刑にならないんだ

 という風説が広まって、性犯罪の抑止に悪影響を与えるのが 非常に恐い、

 と言っていました。

 しかし、死刑による凶悪犯罪の抑止力は 証明されたことがありませんし、

 そもそも 他の先進国では 死刑制度さえないのです。

 先進国で死刑が存続しているのは、アメリカのいくつかの州と 日本だけですが、

 他の先進国では どんな犯罪を犯しても 死刑にはならないわけです。

 ヤギ被告の母国・ペルーにも 死刑はありません。

 風説によって 凶悪犯が日本にやって来る ということはないでしょう。
 

 ところで、広島地裁の 無期判決の理由のひとつに、

 前科の証拠がない というものがありました。

 これは、裁判員制度に向けて 審理期間を短縮するための

 「公判前整理手続き」を採用した結果、

 証拠申請が公判に間に合わなかった ことによるものです。

 控訴後の高裁の審理では 地裁とは異なる証拠立てで、

 量刑が変わる可能性もあります。

 しかし それを考えると、裁判員制度が始まると 充分な証拠ぞろえや審理ができずに、

 不適当な判決・量刑が 決まってしまうのではないか、ということが心配されます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37281272.html
 

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木下あいりちゃん殺害事件判決(3)

2006年07月05日 11時00分18秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37157659.html からの続き)

 昨日の広島地裁が出した 無期懲役判決に対して、

 木下あいりちゃんの父親・健一さんは 無念の記者会見を行ないました。

 被害者遺族の感情としては 本当に当然のものだと思います。

 健一さんが 実名報道などを訴えてから、性犯罪被害者からも 手紙が届いたといいます。

 自殺を考えていたが、思い止まって 立ち直るきっかけになった、と。

 独りで苦しんでいる 被害者にとっては、本当に支えになったことでしょう。

 被害者が癒されることが 僕は何よりも大事だ と思っていますが、

 それが全く不充分なのが 日本の現状です。

 
 昨日の判決の最後に 裁判長は、仮釈放は慎重にしてほしいと、

 事実上の終身刑を要請する 異例の言葉を述べました。

 15年程度で出所できる 現行の無期懲役刑に 疑義を投げかけるもので、

 死刑判決は回避したものの、従来の無期では足りないという 意思表明でしょう。

 これを機に、終身刑導入の議論が 進むことを期待します。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37239061.html
 

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木下あいりちゃん殺害事件判決(2)

2006年07月04日 16時59分29秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37116397.html からの続き)

 広島の小学1年生・木下あいりちゃんを 性的暴行のうえ殺害した、

 ペルー人・ホセ=マヌエル=トレス=ヤギ被告への 一審判決が

 本日 下されました。

 結果は、無期懲役。

 殺人事件の被害者が一人で 死刑判決が出たのは、

 最近5年間で 5件しかないそうです。

 いずれの場合も、殺人の前科があったり、仮釈放中の再犯だったり、

 身代金目的の誘拐,強姦が 合わさっていたりしています。

 でも、あいりちゃんと 父親・健一さんたちの苦悩や、

 ヤギ被告が母国でも 少女に性犯罪を4回犯していた ということなどを考えると、

 死刑判決を期待した向きも 少なくなかったでしょうか。

 
 今回 広島地裁が 死刑にしなかった理由は、下記の3つとされています。

1.前科の証拠がない。

2.計画性がない。

3.矯正不可能な 反社会性があるとは言えない。

 これに対しては、某TV番組で 次のような反論をしていました。

1.ICPO(国際警察)を通じてでも、証拠を収拾するべきではなかったか。

2.なぜ計画性があるほうが罪が重いのか。

  衝動的な性欲を満たすための 暴行のほうが悪質ではないか。

3.矯正できなかったら 裁判所が責任を取るのか。
 

 本村さんの 光市母子殺害事件にしても、

 TVのワイドショーやニュースでは 死刑を求める声が大半でした。

 今の僕は、絶対に死刑反対とは 主張できなくなっているのですが、

 それでも 究極の刑罰である死刑判決は、

 周到で精緻な 審理をつめた上での、例外的な結論であるべきではないか

 と思うものです。

 被害者が一人でも、少女への性的暴行殺人は死刑 ということになると、

 死刑囚は けた外れに増えてしまいます。

 加害者に対する 怒りの感情にまかせて、

 国家がそんなに 次々と人を殺していいのか、ということにならないでしょうか。

 今日は詳述できませんが、死刑制度の弊害は 数々あるということが、

 人々には あまり知られていないと思うのです。

 加害者が真に更生して、心の底から改悛し 苦しむことのほうが、

 本当に罪を償い、被害者,遺族の気持ちも 和らげることになるのではないか

 と、僕は思うのですが。

 それにしても、仮釈放なしの絶対的終身刑が 早急に必要です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37191240.html
 


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木下あいりちゃん殺害事件判決(1)

2006年07月03日 18時59分31秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html からの続き)

 木下あいりちゃん殺害事件の 一審判決が、

 明日 広島地裁で出されるそうです。

 あいりちゃんの父親・健一さんは、検察が死刑を求刑した 翌日の新聞を見て、

 性犯罪や 事件の悲惨さのことが あまり書かれていない、と思ったそうです。

 このままでは、判決が下りたときも 同じような記事で終わってしまい、

 あいりちゃんや 性犯罪で苦しんでいる他の人たちにも、

 申し訳ないと思った といいます。

 なぜ 死刑が求刑されなければならないのか、それを世の中に理解してもらうには、

 性犯罪の内容も できるだけ報道することを、健一さんは求めたわけです。

 
 殺人事件で 被害者が一人のとき、従来の判例では 

 死刑判決はほとんど ありませんでした。

 しかし 被害者が幼い少女である場合、全く落ち度がなく,抵抗力もない

 という理由から、厳しい刑を科する必要性も 唱えられているようです。

 現在の刑法は 明治時代に制定されたものであり、財産などを守ることが中心で、

 女性の性の侵害は 重きが置かれていませんでした。

 もし 明日の公判で 死刑判決が下されたら、

 日本の死刑判断基準を 大きく変える判例になるでしょう。

 ただし、ヤギ被告に死刑判決が下されると、

 年間100人単位の死刑囚が 出ることになるといいます。

 感情的に流れるのではなく、今一度 慎重になる必要があるでしょう。

 
 殺害現場となった ヤギ被告のアパートは、現在は取り壊されて 駐車場になっています。

 地元では、現場を見て 精神状態が不安定になる人もいるそうで、

 その点では アパートがなくなったことは 良かったのでしょう。

 反面、事件が風化してしまうことが 懸念されます。

 ともあれ、明日の判決に注目したいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37157659.html
 

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性犯罪被害者の実名報道(3)

2006年07月02日 09時45分46秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36886979.html からの続き)

 被害者側の生の声の訴えは、我々に非常に重いものを伝えてくれます。

 しかし、被害の実態や実名を 遺族が公表するかどうかは、

 人によって 気持ちが非常に異なるので難しいことです。

 遺族が被害者の人格を 大切にしたいと思うとき、

 被害者のかけがえのない存在を 人々の心に留めてほしい と思うか、

 被害のことを知らせたくない と思うか、

 どちらも否定できないことでしょう。
 

 一般的に性犯罪では 被害者の実名報道はされません。

 特に被害者が生きている場合、本人の衝撃の強さや傷の深さ、

 また周囲の偏見の大きさを考えると、実名は到底無理でしょう。

 でも、そういう事情のため 性暴力は表に出ず潜在化してしまい、

 その結果 被害者がさらに増え、傷つき苦しむことになってしまいます。

 そうならないために、本村さんや健一さんのような 勇気ある言動は貴重です。
 

 一方 インターネットなどによって、一旦出された情報が 簡単に悪用・濫用される状況があります。

 光市母子殺害事件でも、当時少年だった加害者の実名は 公表してはいけないにも拘らず、

 僕もネット上で その名前を見ることになってしまいました。

 また、取材を受ける側が その結果の重大性を予想できないまま、

 実名を出してしまい、あとで困却してしまうケースもあります。

 マスコミ報道はどうするべきか、多面的に熟慮しなければなりません。

 また 報道を受けた我々のほうも、実名や実態を明かしてくれた被害者のことを、

 自分の身に置き換えて 考える必要があると思います。

 それが犯罪予防にもつながるでしょうし、

 これから始まる裁判員制度でも、量刑を考える際に重要なことでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37116397.html
 
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