ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

キャリパーによる「成功する女性リーダーの要件(後編)」

2006-07-11 23:41:59 | しごと
武位 教子
成功する女性リーダーの条件(後編)

 まず、国内の女性リーダーと男性リーダーで「リーダーシップ」を比較すると、女性は男性に比べて「感応力」が高い。場の空気を読んだり、周りの状況に敏感に反応して行動する、ということだ。また「復元力」も高く、困難な状況も楽観的に受け止め、乗り越える傾向にある。一方「リーダーシップ」で男性の方が高い数値を出しているのは、「積極性」だ。男性はどちらかというと“命令型”のリーダーシップをとっているということになる。「積極性」が低い女性は、男性よりもややクールに仕事をしている。女性リーダーがあまりに積極性を持って仕事をすると周りから叩かれやすいため、このような行動を避けるという面が出ているのかもしれない。

 次に「対人関係」を比較すると、男性リーダーは「対人志向」の数値がやや低く「懐疑性」が高い。仕事への意欲は高いが、人に関してはやや冷淡。権威的で周りが近づきがたい雰囲気を出している可能性がある。一方で女性は非常に高い「社交性」があり、「感謝欲」も高い。チーム内の人間関係やメンバーのモチベーションを大事にしつつ、幅広いネットワークを駆使して仕事をしているということになる。

 男女で共通の結果が出たのは、「問題解決と意思決定」の部分だ。男女ともに「アイディア志向」「リスク志向」の数字が高い。どちらも発想力が豊かで、今まで試したことのない新しいプロジェクトにも果敢に挑戦するということだ。また、男女とも「徹底性」と「慎重性」が低い。リーダーであるからには、物事のプロセスや些細な部分にはこだわらず、大局を見て大胆な意思決定をするという点が男女とも共通している、という結果になった。

 「自己管理と時間管理」では、男女ともにスピードと効率を求め、優先順位を決めて仕事を進めていく点で共通している。1つ大きく異なったのは「内的管理(これが高い人は自らの行動にルールを課す傾向があり、独立心が強い)」だ。女性リーダーは男性に比べ、この数字が高い。女性の方が高い自立心と自己統制力があり、自分が定めた目標に対して自己管理を行ったり、緻密な計画を練って行動する傾向があることがうかがえる。


 女性の方が総じて高いようですが、これは成功する女性の数がまだ少ないから総じて男性より優秀なせいではないか……とも思ったりして。

 また野澤さんは、国内のリーダーの男女差だけでなく、日本と海外の女性リーダーの行動特性の違いについても指摘している。「例えば、日本の女性リーダーと米国・英国の女性リーダーを比べると、日本の女性は『復元力』『社交性』が強いことがわかります」。日本と中国を比較した場合も、日本女性リーダーの方が「社交性」「感謝欲」などが強いという結果が出た。コミュニケーション能力に関しては、日本の女性リーダーはかなり高い数値を出していることになる。


 日本の女性リーダーは自信を持っていい、ということか。

また、女性リーダーと言っても、様々な立場が考えられる。「女性リーダーには、3種類あります」と野澤さん。「まず、企業の中でステップアップしてきた女性、次に社外から管理職として入った女性、最後に自ら起業した女性。中でも大企業の中で上がってきた人は、(なかなか破れないガラスの天井と格闘してきたという意味では)一番ポテンシャルが高いのではないでしょうか」。


 うーむ……女性を戦力として活用する前提で採用していないと中から育ってこないんですが(嘆息)。女性管理職の多くは中途で外から移ってきた社員だったりするのが現状です。

ジダン余話

2006-07-11 06:30:20 | 趣味
ワールドカップが終わったので、テンプレート変更しました。

 こんな話題もあったりして……。

ジダン一発退場は映画シナリオ通り!?

映画のラストシーンは試合終了間際に一発退場となり、ピッチを去るジダンの姿。企画した配給のシネカノンでは「あまりに映画と似ていて、本当にびっくり。社内は朝からその話題で持ちきり」と驚きを隠しきれない様子だった。


映画「ジダン 神が愛した男」公式サイト

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追記。こんな記事も出ている。

頭突きジダン頭下げる? 来週にも本人が釈明会見
「最後の言葉」に世界が注目


 私は、ジダン本人が引退の花道を自らの退場という形で迎えたという結末によって十分なペナルティを受けたと思っています。記事の「プロレス並のドタバタ劇」「堕ちた英雄」などという表現は受け容れませんが、何が起こったのかということについてマテラッツィとジダンがしかるべき場所で説明する必要はあるだろうと思っています。

 もし一部に報道されているように差別的な発言がきっかけだったとすれば、ドイツ大会全体を通じて差別に反対するキャンペーンを展開したFIFAとしては何らかの手を打つ必要があるでしょう。