ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

連載対談『国家と罰』

2007-09-13 22:49:23 | 時事
 久し振りにじっくり読みたい連載ものを見つけた。

日経ビジネスオンライン
【第1章】 誰が主権者を吊るせるか?
二重の職人芸

 国家とは何か、権力とはどう使うべきものなのか、死刑には何の意味があるのか。これまで日本では真正面から議論、考察されたことがあまりないテーマについて、現在最もホットな作家である佐藤優氏と伊東乾氏が5時間以上にわたって熱く議論した。自ら512日間も拘留された経験や地下鉄サリン事件の実行犯を同級生に持つ作家たちだけに、観念論に陥ることなく具体論で喝破していく。迫真の議論をテーマ別にシリーズでお届けする。


 佐藤優氏は「在英国日本国大使館、在ソ連(その後、ロシア連邦)日本国大使館勤務を経て、95年より外務本省国際情報局分析第一課にて勤務。勤務の傍らモスクワ国立大学哲学部、東京大学教養学部で教鞭をとる。2002年5月、鈴木宗男疑惑に絡む背任で逮捕され(同年7月、偽計業務妨害容疑で再逮捕)、512日間にわたり東京拘置所独房に勾留される。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受け2007年1月控訴棄却。現在上告中。起訴休職外務事務官・作家の肩書きで、新聞・雑誌を中心に執筆活動を行っている」という経歴。

 自分は死刑廃止論者だけど、決意が固いわけではなく、巷でとても凶悪な犯罪があって被害者家族が犯人に「極刑をもって償ってほしい」というコメントを見聞きしてしまったりすると、今でも心が揺れてしまう。そんな中で、佐藤氏のような経歴の人が裁判を受けて独房に勾留された経験を経て死刑廃止論者になったという話を聞くと、読んでみたくなる。

 そして、対談を読みながら、神ならぬ身の人が、人が人為的に創り出した「国家」というシステムの枠組みの中にいて、人を裁き刑を与えることがどういうことかを、改めて考えてみる。

 我が国の裁判は、(1)犯罪の事実関係の確定、(2)被告人の犯行とされる行為に対する認識、(3)犯罪の事実関係と被告人の認識に対する法律専門家の評価で成り立っています。

 つまり、事実、認識、評価という構成ですね。実は、犯行を行った人間の認識は、密室の中での検察官の取り調べでいかようにも作り上げることができます。それは職人芸と言っていいほど見事なものです。検察官が「上手に」取り調べ、その過程で、元来は被告人が持ってもいない「認識」を引き出し、もっともらしく文書(検察官面前調書)に整える。

 実際の犯行時と異なる「認識」であるのに、それが認識だ、と法廷で確定され、それに従って裁判が進んでいくケースが圧倒的に多いのです。そういうプロセスによって、犯罪がいかようにも作り出されることになる。これは経験してみないとなかなか分かりません。

伊東 なんとも恐るべきことだなぁ。

佐藤 検察実務の世界では、何ら恐ろしいことではなく、これが日常です。私の事件に関しても、外務官僚が署名、指印した、実態から乖離したものすごい調書がたくさん出てきたんですね。

 例えば、2000年にイスラエルのテルアビブで行われた国際学会に袴田茂樹・青山学院大学教授や田中明彦・東京大学大学院教授たちを派遣した案件でも、検察は、私が個人的目的のために鈴木宗男さんの政治力を使って違法な資金支出をさせたという筋書きを作ろうとしました。

 そうするとほとんどの外務官僚が検察の筋書きに迎合するのです。「支援委員会から予算を支出することは違法と思っていたが、同意しないと佐藤優の背後には鈴木宗男がいるので、恐かったのです」という調書が次々と作られていくのです。

 その過程で検察に過度の迎合をする人も出てきます。当時、鈴木さんの覚えをめでたくしようと思い、自発的に追従の手紙を書いて持参した人物が、検察に対しては「鈴木に脅されて詫び状を提出した」などという供述をするのです。そして、違法であるという認識を持ちながら、鈴木宗男が恐いので決裁書類にサインしたという調書を作るのです。

 私に言わせれば、違法だと思っている決裁書にサインしたらその瞬間に公務員としての資格を失います。こういう人が現在、外務省で北朝鮮を担当する北東アジア課長を務めているのですから、まともな対北朝鮮外交などできるはずがありません。

 裁判における真実は、客観的な事実とは異なります。検察官面前調書に書かれたことが真実です。私の弁護人の1人は、最近、検察庁を辞めた人でしたが、検察庁では「事実を曲げてでも真実を追究する」「いかにして被疑者を何でも供述する自動販売機にするかが検察官の腕だ」と教えられたそうです。私を取り調べた検事も「フニャフニャの証人を3~4人揃えれば、どんな事件だって作ることができる」と率直に述べていました。

 ここから論理的に考えていきましょう。殺人を犯した場合、「自分はとんでもないことをしたと思った」という人間ほど、つまり罪の意識が強い人ほど、取り調べの過程で検察官に歩み寄ることになります。被疑者は正直に罪を認めているつもりで話す。その過程で、人を殺めた時点で、明確な殺意はなかったにもかかわらず、あったと過剰な認識について供述してしまう。そういう調書ができ上がってしまうと、計画的な殺意を持って人を殺めたという「非常に凶悪」な「認識」が法廷の場で認定されてしまって、死刑が言い渡される。


最近の凶悪な事件を見ていて思うところは、この辺り。「誰でもよかった」とかいう通り魔的な犯罪が、毎日のように全国で起きている。そんな犯罪の犠牲者になった方々の悔しさ、遺されたご家族ご親族の怒りや悲しみはいかばかりかと思う。

 で、そうした「誰でもよかった」と開き直る加害者は罪の意識が低い側の例。その対局に罪の意識が高い加害者がいて、そういう人の供述は計画的な殺意のもとに行われた犯罪と認定されて、死刑が言い渡される。皮肉というか、矛盾ではないだろうか。

そうやって作られた調書を見る裁判官も裁判官で、証拠として提出された物に対しての、証拠力の評価というのが「何人にも冒されない自由」の下でなされている。それが本当に正確に行われていればよいのですが、法理という枠の中で無謬的であろうとするために、社会的に見て、あるいは自然科学、医学などの見地から見ると、明らかに誤った判断だって、素人であれば、下してしまう危険性を免れない。三権分立の落とし穴だと思っています。

佐藤 そうですね。検察、特に東京地方検察庁特別捜査部が全知全能であるというのは神話です。ごく標準的な霞が関官僚に過ぎません。

伊東 またさらに、その先で量刑を決めるところでも情状の酌量という、「さじ加減」とも言い直せる領域が存在していて、素直に自分の罪を認めてしまうようなナイーヴな人が「自覚的である」「よく反省はしている」「だがそれをもっても極刑をもって臨まざるを得ない」なんてことになる。なんで「臨まざるを得ない」のか、説明しろと言われると、実は決定打なんかないんですね。裁判官が確信を持っていることが一番大事。つまり、この人は「確信を持って人に死を言い渡す」。法服って、そういうことを言うために黒色なわけではないと思うのだけれど。


 で、第2章になると、さらに生々しい話に。

【第2章】 となりの死刑囚 1 
確定者の髭剃り


佐藤 いまの死刑制度は死刑囚に自分の罪を語らせないで終わってしまう。死刑囚を社会から隔離するのではなく、社会と向き合うことで自らの犯した犯罪について考えることを放棄できないような状況を作る必要があると私は思うのです。

 そこから、何らかの教訓を読み取って、同じ形態での殺人が繰り返されることを避けるための手がかりを得る。この努力を国家と社会が怠ってはなりません。

 伊東さんが本に書いておられた「あれこれ政治に口出しする陸軍と違って、海軍はだまって任務を遂行し、失敗しても言い訳せずに黙って責任を取る」という「サイレント・ネイビー」という行動様式は、日本を誤らせたもので、僕は行政官の視点から見てすごく嫌いなんです。

 それが自己充足した閉ざされた世界だからです。

伊東 まして現職閣僚が死んで責任を取る、なんて、何一つ建設的には責任取れてないと思わざるを得ないな。

佐藤 伊東さんが言いたかったのは、海軍の黙して語らずという伝統では、日本人は失敗を通じての学びの機会が永遠に失われる。それは大きな問題だ、ということと私は解釈しましたが、妥当でしょうか。

伊東 全くその通りです。


 ついこの間も、カネの問題で疑惑が生じた大臣が、黙したまま死を選びましたね……。

 で、この辺りからが、生々しいお話。

 拘置所では、拘留中に判決が確定する人が出る。判決が出ると、無罪・執行猶予の場合を除きその日のうちに丸坊主にされる。それから服を全部着替えさせられて、囚人服を着る。

 すべての差し入れが全部1回取り上げられ、留置させられる。食料品は一切買えなくなって、買い物の品目も全部変わっちゃう。それで、その日から袋張りを始めるんですね。そのうち1~2週間ぐらい経つと、刑務所に移送されていく。

 ところがそうならない人たちがいるんですよ。判決が出た後も、ずっと私服を着たままで。それどころか判決後の方が、逆に購入品目が多くなるんです。

 それが看守が言うところの「確定者」つまり確定死刑囚なんです。ビデオを観ることができるという「特権」を確定死刑囚は持っています。こうした処遇のちょっとした差異が、閉鎖空間の拘置所では、ものすごくでかい。だから死刑が確定すると、その瞬間から、日常の処遇では「特権」とそれに伴う「うれしさ」がある。

伊東 なんかものすごい話だなぁ。

佐藤 ビデオだけじゃありません。食品の購入についても確定死刑囚は「特権」を持ちます。例えば、私はカンロ飴しか買えなかったんですね。

 ところが、死刑囚はライオネスコーヒーキャンディーが買える。そうすると、コーヒー好きの私としては、「ライオネスコーヒーキャンディーが買えるなら、死刑囚に変えてもらえないかな」なんてことが、一瞬頭をよぎるんです。


 「カンロ飴」と「ライオネスコーヒーキャンディ」の比較なんて、一体いつの話だと思うのだけど(汗)、それが死刑囚のいる拘置所なんだなぁ。そして、「ライオネスコーヒーキャンディが買えるなら、死刑囚に変えてもらえないかな」なんてことが、一瞬頭をよぎるってとこが……何というか、見てきた人でないと言えない生々しさだなぁ。

 本の貸し出しのエピソードも、看守としか接点のない死刑囚が隣りの監房の囚人とわずかに接点を見いだすところがあって、その間接的なコンタクトしかないというところが、印象的。

 そして、髭剃りのお話。

佐藤 それに、私がその人のことを気にしていることを看守たちも知っていました。しかし、絶対に名前を教えてはいけない。私も死刑囚も他の房の人間と言葉を交わすことを固く禁じられている要注意人物だったので、直接言葉を交わしたことはないのです。

 実は、差し入れの時に、ものを購入する一覧表があって、そこから普通の囚人たちの名前を知ることができるんですよ。例えば、ミカンを購入したら、「ミカンを確かに受領した」、と黒い色の印肉に左手の指をつけて判を押すんです。

 名前がずらっと並んでいるから、例えば何房になんていう名前の懲役囚がいるかが、分かる。ところが死刑囚は購入簿が別で、名前が分からないんです。

伊東 なかなか込み入っていますね。

佐藤 ところで、拘置所では、月曜日と木曜日に髭を剃ります。その時は32房の私の房にも鏡と電気かみそりが配られる。

 髭剃りは、みんな同じ形をしているので、一つひとつ房と名前が別に書いてある。それがある日、間違えて「31房 X」と書いてある隣人のが、僕の房に入ってきた。それで、隣人の名前が遂に分かったんです。

伊東 そういう細かなところから情報が得られたのは佐藤さんだからだと思いますよ。普通の人間なら、見落として絶対に分からない…

佐藤 「あっと間違えた」と言って、看守がすぐ回収してしまいましたが…

伊東 ほら

佐藤 いや、そんなの絶対に間違えるはずはありません。当然わざとやっているんです。

伊東 なるほど。そういう人情ですか。看守が佐藤さんに合法的に隣の人の名前を教えてくれたわけですね。そういう確立された方法が、塀の中に無数にあるんでしょうね?


 そういうエピソードを聞かされると、看守さん自身はどういう思いで死刑囚と接しているのか、それも気になるなぁ……。

立花御大も金銭スキャンダルの可能性に言及

2007-09-13 19:55:37 | 時事
 久し振りに立花御大の記事に言及させていただく。

立花隆の「メディア ソシオ‐ポリティクス」第116回
政界を大混乱に巻き込んだ安倍首相電撃辞任の真相
「遺産相続で3億円の脱税」報道

 はじめ永田町に流れた情報は、「週刊文春」が安倍首相の一大スキャンダルを出す予定になっているということだった。早速、「週刊文春」に問い合わせると、「それはウチではないです。『週刊現代』らしいです」ということだった。

 毎日新聞の夕刊が小さな記事で報道したことであるが、安倍首相自身が、これが噴出したら命取りという一大政治資金スキャンダルをかかえていたというのである。

 それは、父の安倍晋太郎氏から首相への資産相続の際に、晋太郎氏が資産を自らの政治団体に寄付する形にすることで、首相は相続税をまぬがれていたという「脱税」疑惑なのである。週刊現代の記事では脱税額は3億円にものぼるという。

 安倍内閣は第1次、第2次とも、成立当初から政治資金の問題に悩まされてきた。しかしそれはいずれも、佐田玄一郎行革担当相の政治資金問題、松岡利勝農水相の「ナントカ還元水」問題、赤城徳彦農相の事務所費問題など、有名な諸事件をとっても、金額的にはそれほど大きな問題ではない(億単位の金額ではない)。これが本当ならば、それに比較して、この遺産相続問題はケタちがいに金額が大きい。

突然の辞任会見の引き金になったもの

 安倍晋太郎氏が亡くなったのは、91年のことであるから、いま現在脱税で訴追されるかどうかという話ではないが、このようなことは、世の常識の問題として、政治資金の問題にとりわけ厳しくあたってきた内閣の長として、ヤミからヤミに葬ってあとは知らんぷりできるという話ではない。

 これが事実ならば、過去の話ではあっても、これは政治的にはいま現在でもホット情報として扱われるべきアクチュアルな話である。安倍首相には道義的に説明責任がある話だ。安倍首相の在任中にこんな話がオモテに出たら、安倍内閣はそれだけでふっ飛ぶこと確実なスキャンダルだったといってよい。

 この話を、「週刊現代」が取材して、今週末土曜日発売予定の号に載せるはずになっていた。

 そのために、「週刊現代」は安倍事務所に真偽確認と、その理由釈明の問い合わせの書筒を送り、返答の期限を昨日の午後2時に設定していたと伝えられる。

 その午後2時になったら、安倍首相の突然の記者会見が開かれ、政界関係者全員が唖然として見守る中で、突然の辞意表明が行われたわけである。


 『週刊現代』は買ったことがないのだが、今回は買ってやろう。

 「政治とカネ」の問題で次々と大臣を辞めさせざるを得なかった安倍政権だが、一番黒いのはご自分だったわけだ。そりゃ、「お友達」たちのスキャンダルに甘くもなるものだわ……(嘆息)。

 でも、もう、カネをめぐるスキャンダルに対する国民の許容量はかつてないほどに低くなってきていると思う……自分たちの年金が支払われるかどうかも危うくなっている時に、億単位の金を平気で裏金にする政治家たちの金銭感覚は受容れられないもの。