ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

しょうが紅茶の効果?

2007-09-19 21:19:19 | 日常
 いまだに最高気温が30度を超える関西に住んでいるから暑いのは確かなのだが……最近、とても汗かきになった(汗)。ちょっと動くと、すぐ背中をつつーっと汗が流れる。

 新陳代謝を促すために「生姜入り紅茶(少々の黒砂糖と豆乳をイン)」を飲む習慣を始めてから少し経った。汗かきになったのは、これのせいだろうか?

 減量効果・ダイエット効果はまだ現れていないのだが……。

リーダーは実績でなく「何かやってくれそう」かどうか

2007-09-19 12:31:00 | しごと
 リーダーシップ研究やリーダー論を多少かじっている自分にも、なかなか刺激的な論点だ。

安倍辞任を広告コミュニケーションの視点から見る
 「文藝春秋9月号」に作家の塩野七生氏が「安倍首相擁護論」を寄稿されたのは、今回の辞任騒動どころか、自民党が大敗した参議院選挙の前です。

 一部を以下に引用して紹介します。


首相としての安倍氏は私にとって、「買っていない」というよりも「好み」ではない。政治という虚実からみ合う世界のリーダーとしては、誠実のあまりか単純すぎる。大衆民主主義時代の有権者の心理がわかっていない。女はなぜ男に惚れるのかを、考えたことはあるのだろうか。

 民主主義政体下の有権者とは、「何をやったか」で支持するのではなく「何かやってくれそう」という想いで支持を寄せるのである。

 業績から判断して投票するのではなく、期待感で票を投じる人々なのだ。業績によって評価を下すのは、政治的センスをもったごく少数の有権者か、それとも歴史家か、でなければ歴史家的なセンスも兼ねそなえている新聞記者だけと考えたほうがよい。


 安部氏に、政治家として、リーダーとして、決定的に欠けている資質とは何か? 今回の安倍総理の辞任後に書かれたさまざまな分析を読みましたが、参院選前に塩野氏が書かれたこの文章ほど的確に表現したものは見当たりませんでした。

 政治リーダーとは、「何かやってくれそう」「好きだ」で本来、選ばれるものなのです。そんな単純な事実が、戦後の米ソ冷戦構造の中、アメリカの庇護の下においてのみ可能だった自民党一党支配で、派閥の論理で首相が選ばれてきた日本においては、長く忘れられてきました。

 この政治本来のリーダーの選ばれ方を、ひさびさに日本に持ち込んだのは、前総理の小泉純一郎氏です。でも、小泉氏の話はまた後にします。


 有権者に広く投票されて選ばれる政治リーダーと、株主が選ぶ企業のトップやそのトップに選任される企業内リーダーは、違うところがあると思う。が、リーダーは、業績や実績でなく「何かやってくれそう」「好きだ」で選ばれるもの、という論点は、なかなかに面白い。

 博報堂の新人時代、マーケティングデータを読み込み、過去の多くの似た事例を研究して、アイデアを真正面から考えていました。その時、先輩に厳しく言われたのは「清く正しく、つまらないは、広告表現としてサイアクである」ということです。

 いくら「こんなに素敵な製品ですよ」とか「我々はこんな立派な活動をしています」と、正論を吐いても、人に伝わるとは限りません。伝えようとする相手がコンピュータではなく、人間である以上、「つまらないものは、愛されない」のです。

 名経営者、名政治家、名監督。優れたリーダーに共通する資質は究極、「好かれる。愛される」ということにつきるように思います。


 なるほど、優れたリーダーにあると言われている「カリスマ」とは何かという話でもあるのだ。

 私のこの連載の担当編集である日経BP社出版局の柳瀬博一さんにメールで意見を求めたところ、たいへん丁寧な返信をもらいました。

一部を紹介します。

              ************

人間は、
1:「損か得か」、2:「正しいか間違っているか」、3:「好きか嫌いか」という3方面からの価値判断を、特定の事象において、無意識下で瞬時に行い、行動に移します。

ゆえに、名経営者、名政治家、名スピーカーというのは、1:まず聴衆に彼自身を「好き」と思わせ、2:しかも発言が「正しい」と思わせ、3:最後に俺にとって「得だ」と思わせる、スピーチができるひと、となるわけです。

ただし、大切なのはこの順番です。
人間は、自分を「理性のひと」と思いがちで、とりわけ、お仕事などが絡むと、論理的に考えている、と思い込んでおります。

ですから、建前は、1:損得、2:正悪、3:好嫌の順番で価値判断をしている、と思い込む。

が、実際は違うんですね。自分の心を虚心坦懐に眺めると、だいたいの場合、まずとにかく1:好き嫌い、という皮膚感覚で判断し、次に2:正しいか間違っているか、と世間を気にし、最後に3:損か得か、という理性を働かせるわけです。もちろん違うケースもありますが、存外、好き嫌いが最初の第一歩になっているものなのです。


 建前は損得・正悪・好嫌、実際は好嫌・正悪・損得という指摘は、なるほどなぁと思う。

 もっとも優れた、そしてもっとも危険なリーダーというのは「好きにさせるチカラ」が圧倒的な人です。

 この天才こそが、小泉純一郎前総理だと思います。

 ひるがえって安倍氏には、まず人に「好き」と思わせる能力が凡人レベルでした。言っていることは、正しいのかもしれませんが、「清く正しく、つまらない」に過ぎなかった。

 絶対に選挙で勝てるわけがないなと、私も塩野氏同様に見ていました。

 参院選で「私にはまっとうしなければならない重要な職責があるんです。私は負けるわけにはいかないんです。私に皆さまのチカラをください」という安倍総理の演説をテレビで見て「ダメだこりゃ」とあらためて思いました。女性にもてない男性の典型のような口説き文句です。

 結局、私は投票所へは行きませんでした。

 民主党が勝ったのではないのです。コミュニケーションの天才小泉の亡霊に、凡人安倍が玉砕した、それだけです。相次ぐ閣僚のスキャンダル、不適切な発言、社会保険庁の問題。安倍氏は不運だった、という声もあります。では、安倍氏は不運だっただけなのでしょうか?

 もし、仮に、社会保険庁の問題や、インド洋上の給油のことが、同じように小泉政権の時に起きていれば、「社会保険庁を中からぶっ潰す!」「年金改革こそ小泉改革の本丸!」「インド洋上の給油に賛成か反対か、その二者択一で国民に信を問いたい!」と、逆に自分のタンカに変換して、乗り越えたような気がしてなりません。


 自分は、小泉元首相はその危うさ・破壊力ゆえに嫌いだというへそ曲がりなのだが、安倍首相が敗れたのはなぜかという点では、この記事に賛同してしまった(苦笑)。そして、一方で、「でも、この記事って英雄待望論に過ぎなくて、ヒトラー登場を待つ第一次大戦敗戦後のドイツ国民と同じ心理なんじゃないのぉ?」と混ぜ返したくなる自分も、そこにいる。