ロダン美術館に行きました。
セーヌ川の左岸、アンヴァリッド(廃兵院)に近いところです。
入り口で作品解説のオーディオガイドを借りました。日本語もあります。おかげで色々なエピソードが理解できました。やはり専門家による解説は興味深いものがあります。

この建物自体にも長い歴史があり、貴族の館から始まり、女子修道院の寄宿学校、一時荒廃、芸術家たちのアパート兼アトリエ、そしてロダンが買い取って自分の住居兼アトリエにしました。現在は彼の作品を展示する美術館です。
一番有名な「考える人」は、フランス語 Le Penseur、英語では The Thinker。
入場して直ぐの庭にありました。

さすがに存在感があります。
この作品が完成するまでに、何度も作り直されました。初めて展覧会で発表された時、美術界の評判はよいものではありませんでしたが、結局、彼の生涯を通じて最も有名な作品になりました。
あとで出てくる「地獄門」にもその小型版が採用されています。
順路に沿って、次に現れるのが「バルザック」です。
フランスが誇る大文豪バルザックの偉業を記念して、その銅像の作成がロダンに依頼されました。ロダンは、当時もはや伝統的な写実的彫刻の域を脱しており、いかにして創意あるバルザック像を表現するか、大いに苦悩しました。その足跡は、実際、ここの建物にある展示物で詳しく説明されています。
彼の創作は、なんと、バルザックの脳を彼の頭上に載せることでした。お腹を突き出した堂々たる文豪像を創り出したのです。依頼主のバルザック顕彰協会はこの像に対して大いなる不満を表明しました。また当時の美術界からも異端視されたとのことです。

次は、「カレーの市民」。フランスと英国間の何度もの戦争を象徴する群像です。
欧州の歴史に不詳であるボクには、その故事をしりませんでした。音声ガイドによれば、「カレーとは、海を隔てて英国に対面するフランスの港町。その町はある戦いで英国に占領された。占領後、英国王は、降伏の証として6人の市民に町の鍵を持参させ、その人々をみせしめとして処刑することを要求。人選は自分の意思によるものであり、6名の犠牲者が鍵を持って降伏に臨む場面」となっている。...最終的には英国王妃の助言で処刑は免れるが。

ダンテの叙事詩に基づく「地獄門」。
この作品には、多くの場面と人物が描かれています。作品の構想とその素材の作成には試行錯誤が繰り返されました。ロダンの生存中には、現在の形での発表はなされませんでした。死後、弟子の手によって残された資料を元に、すでに出来上がっていた個々の素材を用いて構成されたのが現在の作品です。よって未完成とされています。
この彫刻に含められている多数の素材彫像各々には、ダンテの戯曲に出てくるエピソードが秘められています。
東京上野の国立近代美術館にも置かれているので、見た記憶があります。

これは、参観者がつれていた本物の赤ちゃんです。この日は無料公開日であり、多くのパリ市民も鑑賞に訪れていました。

本館を囲む庭園の所々にこのような名作が立っています。
セーヌ川の左岸、アンヴァリッド(廃兵院)に近いところです。
入り口で作品解説のオーディオガイドを借りました。日本語もあります。おかげで色々なエピソードが理解できました。やはり専門家による解説は興味深いものがあります。

この建物自体にも長い歴史があり、貴族の館から始まり、女子修道院の寄宿学校、一時荒廃、芸術家たちのアパート兼アトリエ、そしてロダンが買い取って自分の住居兼アトリエにしました。現在は彼の作品を展示する美術館です。
一番有名な「考える人」は、フランス語 Le Penseur、英語では The Thinker。
入場して直ぐの庭にありました。

さすがに存在感があります。
この作品が完成するまでに、何度も作り直されました。初めて展覧会で発表された時、美術界の評判はよいものではありませんでしたが、結局、彼の生涯を通じて最も有名な作品になりました。
あとで出てくる「地獄門」にもその小型版が採用されています。
順路に沿って、次に現れるのが「バルザック」です。
フランスが誇る大文豪バルザックの偉業を記念して、その銅像の作成がロダンに依頼されました。ロダンは、当時もはや伝統的な写実的彫刻の域を脱しており、いかにして創意あるバルザック像を表現するか、大いに苦悩しました。その足跡は、実際、ここの建物にある展示物で詳しく説明されています。
彼の創作は、なんと、バルザックの脳を彼の頭上に載せることでした。お腹を突き出した堂々たる文豪像を創り出したのです。依頼主のバルザック顕彰協会はこの像に対して大いなる不満を表明しました。また当時の美術界からも異端視されたとのことです。

次は、「カレーの市民」。フランスと英国間の何度もの戦争を象徴する群像です。
欧州の歴史に不詳であるボクには、その故事をしりませんでした。音声ガイドによれば、「カレーとは、海を隔てて英国に対面するフランスの港町。その町はある戦いで英国に占領された。占領後、英国王は、降伏の証として6人の市民に町の鍵を持参させ、その人々をみせしめとして処刑することを要求。人選は自分の意思によるものであり、6名の犠牲者が鍵を持って降伏に臨む場面」となっている。...最終的には英国王妃の助言で処刑は免れるが。

ダンテの叙事詩に基づく「地獄門」。
この作品には、多くの場面と人物が描かれています。作品の構想とその素材の作成には試行錯誤が繰り返されました。ロダンの生存中には、現在の形での発表はなされませんでした。死後、弟子の手によって残された資料を元に、すでに出来上がっていた個々の素材を用いて構成されたのが現在の作品です。よって未完成とされています。
この彫刻に含められている多数の素材彫像各々には、ダンテの戯曲に出てくるエピソードが秘められています。
東京上野の国立近代美術館にも置かれているので、見た記憶があります。

これは、参観者がつれていた本物の赤ちゃんです。この日は無料公開日であり、多くのパリ市民も鑑賞に訪れていました。

本館を囲む庭園の所々にこのような名作が立っています。