パリ市立近代美術館に行きました。
パリ16区、セーヌ河の右岸に面してエッフェル塔の直ぐ近くです。パレ・ド・トーキョーという建物の東半分を使っています。
この建物が接する河岸道路は、かつて「トーキョー通り」と名づけられていたので「トーキョー宮」と命名されました。道路の名称は第二次大戦中に「ニューヨーク通り」と変ったのですが、建物の名前は変更しませんでした。さすがにフランスです。
この美術館の常設展示フロアーは、なんと入場無料です。入り口は「ウイルソン大統領通り」から。
近代美術の大家、マチスの部屋があって大作を見ることができます。
フジタの作品もありました。これらの常設展示は地下階です。河岸の斜面に立つ建築なので、実際、河からみると地上です。
さて、ここに行った目的は、デュフィの「電気の精」を鑑賞するためです。
2階正面に、大きな部屋がありました。
ラウル・デュフィは、20世紀前半に活躍した「野獣派」(フォーヴィスム)の一人です。若くて生活に苦労していた時期には、シルク装飾業者のデザイナーとして仕事を請け負っていました。その装飾美術の経験が鮮やかな色彩と華やかなデザインとなって後世の作品に反映しているようです。
「電気の精」は1937年、パリ万国博覧会の際、フランスの電力会社の依頼により制作し「電気館」に掲げられた壁画です。長さ60メートル、高さ10メートルの大きな絵で、縦2m、横1.2mのパネル250枚で構成されています。
圧巻でした。
やや暗いU字型の広い部屋に展示されていますが、その色彩の新鮮さと、人物やその名前の線画が明確です。絵画の正面と両脇の上部には、電気の物理現象である雷や積乱雲、変電所や造船所、鉄道などがさりげなく、でも堂々と描き込まれています。
110名の科学者の中には、「ファラディ」「モールス」「エディソン」「レントゲン」「ボルト」「アンペア」「マックスウェル」などなじみある学者の名前が多くありました。
描かれたのが1937年ですから、コンピュータやテレビ、原子力関係の科学者は現れませんね。
帰国してから京都新聞を見ていたら、なんと美術館「えき」京都にて「デュフィ展」開催中であることを知り、行ってきました。
パリの美術館よりたくさんの作品が展示されていて、特に水彩画には大変に良い絵が来ていました。本物の水彩画の色調は、印刷やビデオでは表現できません。
今回、パリの美術館で気がついたのですが、展示作品を個人的にカメラで写す事は禁止されていません。ただしフラッシュは使ってはいけません。
シャッター音が大きいと他の鑑賞者の迷惑ではありますが、カメラ撮影自体は作品にダメージを与えるわけではありません。光学的に受動の処理ですから。
日本では、ほとんどの美術館、神社仏閣の室内や作品は撮影禁止です。
個人的な楽しみ、記録、記憶保持、教育のためにも、もう少し柔軟であって欲しいと思います。著作権のことは別の問題ですが、素人写真に商業的価値が生ずるとは思えませんし。
美術館のテラスはカフェになっていて、セーヌ河やエッフェル塔が見える特等席です。人々がお茶や軽食を楽しんでいました。
パリ16区、セーヌ河の右岸に面してエッフェル塔の直ぐ近くです。パレ・ド・トーキョーという建物の東半分を使っています。
この建物が接する河岸道路は、かつて「トーキョー通り」と名づけられていたので「トーキョー宮」と命名されました。道路の名称は第二次大戦中に「ニューヨーク通り」と変ったのですが、建物の名前は変更しませんでした。さすがにフランスです。
この美術館の常設展示フロアーは、なんと入場無料です。入り口は「ウイルソン大統領通り」から。
近代美術の大家、マチスの部屋があって大作を見ることができます。
フジタの作品もありました。これらの常設展示は地下階です。河岸の斜面に立つ建築なので、実際、河からみると地上です。
さて、ここに行った目的は、デュフィの「電気の精」を鑑賞するためです。
2階正面に、大きな部屋がありました。
ラウル・デュフィは、20世紀前半に活躍した「野獣派」(フォーヴィスム)の一人です。若くて生活に苦労していた時期には、シルク装飾業者のデザイナーとして仕事を請け負っていました。その装飾美術の経験が鮮やかな色彩と華やかなデザインとなって後世の作品に反映しているようです。
「電気の精」は1937年、パリ万国博覧会の際、フランスの電力会社の依頼により制作し「電気館」に掲げられた壁画です。長さ60メートル、高さ10メートルの大きな絵で、縦2m、横1.2mのパネル250枚で構成されています。
圧巻でした。
やや暗いU字型の広い部屋に展示されていますが、その色彩の新鮮さと、人物やその名前の線画が明確です。絵画の正面と両脇の上部には、電気の物理現象である雷や積乱雲、変電所や造船所、鉄道などがさりげなく、でも堂々と描き込まれています。
110名の科学者の中には、「ファラディ」「モールス」「エディソン」「レントゲン」「ボルト」「アンペア」「マックスウェル」などなじみある学者の名前が多くありました。
描かれたのが1937年ですから、コンピュータやテレビ、原子力関係の科学者は現れませんね。
帰国してから京都新聞を見ていたら、なんと美術館「えき」京都にて「デュフィ展」開催中であることを知り、行ってきました。
パリの美術館よりたくさんの作品が展示されていて、特に水彩画には大変に良い絵が来ていました。本物の水彩画の色調は、印刷やビデオでは表現できません。
今回、パリの美術館で気がついたのですが、展示作品を個人的にカメラで写す事は禁止されていません。ただしフラッシュは使ってはいけません。
シャッター音が大きいと他の鑑賞者の迷惑ではありますが、カメラ撮影自体は作品にダメージを与えるわけではありません。光学的に受動の処理ですから。
日本では、ほとんどの美術館、神社仏閣の室内や作品は撮影禁止です。
個人的な楽しみ、記録、記憶保持、教育のためにも、もう少し柔軟であって欲しいと思います。著作権のことは別の問題ですが、素人写真に商業的価値が生ずるとは思えませんし。
美術館のテラスはカフェになっていて、セーヌ河やエッフェル塔が見える特等席です。人々がお茶や軽食を楽しんでいました。