朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

ムフタール街

2009-09-20 | 外国の風物
大学地区、カルチェラタンの南東側にムフタール街があります。日曜日に出かけました。

 レストランやカフェ、バーが両側に並んでいます。
 日曜日は、パリでは普通のレストランや商店は閉まってしまいます。ですが、ここの通りは多くの人々が集まってくるので、かえって賑やかでした。



 上の写真の左側に写っている緑の文字「ビエール・プレッシオン」Bieres Pressionとは、生ビールのこと。ギネスやキルケニーなど「外国ビール」銘柄も堂々と宣伝しています。言葉についても、EUになってから、パリで英語がどこでも通じるようになった感じがしました。

 相当に昔、パリに来た時のことですが、例えば、突然の雨にあってシャンゼリゼの大きな店で「雨傘」を買いたくなり、その有無を店員に聞いても少しも英語が通じないことがありました。多少理解しても、意図的に無視する風潮もありました。国際言語としてフランス語の伝統を守る意識です。




イタリアン・ジェラートも人気があって、行列していました。

 アイスクリームを買って、食べながら歩く。行儀が悪いですね。



 子供の数が増えているような気がします。
 何かの記事で、フランスは出生率が増加していると読んだことがあります。その時は、アフリカ系や東欧系のフランス人の家族の増加ではないかなと理解したのですが、今回、街を歩いているとコーケジアン(白人)の子供たちが多かった。





この街は、適度に、パリの学生、観光客、地元住民が混じっている印象です。

 おばちゃん二人が、ここでお茶をし始めました。
 上の写真の若い人の服装とくらべると、ずいぶん厚着です。

 ヒマなので、後ろから見ていたら、ウエイトレスにクレジットカードを渡していました。ポータブルのカード支払い承認機械を持ってきて、暗証を入力すると支払いが完了します。このおば様は、その後で店員から現金を受け取っていました。つまり、コーヒー代に加えてキャシング金額を加算(何か料理を注文したように入力)してカードで支払い、差額を現金でもらう。お店としては多少売上が増え、チップも増える。ATM機に行く手間を省いていたようです。そんなサービスをしてくれるのは、きっと常連のお客さんだからなんでしょう。



昼食としたクロックムシュー、パンにハムとチーズを乗せてオーブンで焼いたオープンサンドです。付け合せの、ポンフリ(フレンチフライ)が多い!



おっと、こんな落書きも。





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新型インフルエンザ A(H1N1)

2009-09-19 | もろもろの事
帰国して1週間以上が経過しました。
 発熱などの体調不良は生じませんでした。



7月から8月上旬にかけて大流行地であった冬期のアルゼンチンと、経由地として米国の空港、そして欧州、延べ50時間程度、ほぼ満員の航空機内に閉じ込められていたわけですが、感染なし。
 年代的に、交差免疫があるのでしょうか。

滞在した諸国で、マスクをしている人は、空港関係職員の一部以外にはまったく見かけませんでした。
 アルコール消毒のスプレイは、空港やレストランのトイレで見かけましたが。 

今回の流行は、A(H1N1)型と称される豚由来のインフルエンザですが、豚と形容詞を付けると豚肉消費への風評被害があることから、単に「新型」として定義しています。

 しかしこれは、やはりまずいでしょう。
 昨年、騒がれたインフルエンザは、H5N1型鳥インフルエンザウイルスでした。
 こちらは、人から人への感染能力が今のところないのでまだパンデミックにはなっていないものの、毒性は相当に高い模様なので危険性は大きいです。
 対策や被害が、かなり異なるので、定義とか対応方法とか区別しておく必要があると思います。

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家族

2009-09-18 | 外国の風物
エトワール広場で見かけた家族です。

 肩車して三人で歩いていました。よくは分かりませんが、東欧系の人かな。



 パリの記念写真を撮っています。いい記念になりますね、きっと。




 どこかに三人で歩いて行きました。




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夜の街を歩く

2009-09-17 | 外国の風物
レストランで沢山食べたので、消化のためにこの辺り(ビュットおカイユ)を歩きました。



まだ、一応「夏」だし、立ち飲みバーの店内よりは外のほうが心地よいので、多くの人々が店の前でグラスを持って、路上にたむろしています。もう、わいわいがやがやでした。

 夜歩いても、不安な感じはまったくありません。










で、、昼間は、こんな感じです。



学生や若い人たちの街。でも、渋谷、新宿、あるいは新橋、とはなにかちがうね。

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ビュット・オ・カイユ

2009-09-16 | 外国の風物
この日はアルゼンチンから大西洋を南半球から斜めに横断して、スペイン・マドリードで乗り継いで、パリまで15時間くらいかけて到着した一日でした。時間も時差で5時間ぶん早くなっています。
 空腹なのかどうか、よく分からないけれど、おいしそうなものを見るとつい買い食いしてしまいました。

パンやサンドイッチの店です。「Paul」 日本にもあるそうです。



 店内で食べるか(シュール・プラス)か、お持ち帰り(アンポルテ)かで、2割くらい価格が違います。店内で食べるときは、席に着いてからウェイトレスに注文してくれと言われたのですが、混んでいたことと欲しい品物の名前が即座には読めない・覚えられないので、指差し注文で済む「お持ち帰り」にしました。



 半分食べたところで撮った写真です。ショッピングモールの外周部に出て、低い石の壁に腰掛けて食べました。店員や社員の喫煙者たちも、そのあたりに出てきてタバコを吸っていました。昔から喫煙者の多いさすがのフランスでも最近はオフィスでは禁煙なんでしょうか。


夕食は、さて、どこのレストランにしましょう。

 ホテルのある地域、ビュット・オ・カイユ、なにやら面白そうなので、この街を歩いて探すことにしました。ビュットというのは丘という意味なのでしょうか、至るところが坂道です。※

 何軒か外から眺め、また、入り口に掲示してあるカルテ(飲食種類と価格を記載したカード。「メニュー」というと定食(発音はムニュ)、あるいはコース料理の意味になります)を仔細に読みながら散策しました。



 このレストランのカルテを見ていたら、店内から店のオジサンが出てきました。 「こんばんは、どうですか入りませんか?」と。
 そこで、「何がこちらの得意料理ですか」と聞いたところ、「ギリシャとフレンチですよ」

 フランスのレストラン店員はほとんど呼び込みなどしないものだと思っていましたが(ウエイターの職務はテーブルサービスだけであり、呼び込みではないとの意識か)、まあ熱心に勧めるし、すでに数人の客も入っているので我々も入店しました。

 通例どうりに、前菜とメインを注文。(それが常識)(それでデザート選択はメインを食べてから注文)
 ギリシャ・サラダとブルゴーニュ風牛肉です。
 飲み物は、カラフで赤ワイン。水は、水道水をカラフに入れて無料で持ってきました。高級店では、ミネラルウォータを注文しますが、価格はビールと同じか銘柄によってはビールより高い。





 この一人で二皿の料理は、完全に分量がオーバーでした。半分食べて、ギブアップ。
 美味しかったのですが、時差ぼけの胃袋にはムリ。訳をいって引き上げてもらいました。
 ですが、それらの皿を下げたあと、店員がデザートを選ぶためのカルテを持ってきました。とりあえず、形式的に眺めていたら、「クレームビュルレ」があったので、つい注文してしまいました。



 カスタードプリンを、鉄の小鍋に入れてオーブンで焼いたようなもの。(作り方、ちがうかな?)

 満足、満足。

※ 「Butte aux Cailes」(意味は「うずらの丘」)
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ロダン (2)

2009-09-15 | 外国の風物
庭の景色です。
 両脇の背の高い木は、菩提樹です。





すぐ近くにアンヴァリッドの金色ドームが見えます。



本館の中には、大理石の彫刻、多数の作品、習作素材、ロダンが購入した他の作家の絵画などが並んでいます。



 ロダンの手にかかると、大理石という石材が実にソフトでなまめかしいオブジェに生まれ変わっています。




 次の写真、「歩く人」。
 2本の足は「現実」の歩行ではありません。
 歩き出す瞬間の前方に位置する脚の筋肉とバランス状態を捉え、左右の脚を個々に合成し創作した作品です。そうした発想も驚嘆です。






カミーユ・クローデルの作品「分別盛り」※が、異常なオーラを放っていました。

 才能と美貌に恵まれたカミーユは、19歳の時にロダンに弟子入りしました。ロダンは当時42歳。
 やがて二人は愛し合うようになりますが、一方、ロダンは以前から彼を支えてくれていた妻ローズ(入籍は最晩年となる)と分かれることがでませんでした。15年を経て、結局、ロダンはローズを選んだのです。

 カミーユは、その愛憎をこの彫刻に表現したのです。
 去っていく男性の片手を後ろから跪いて引っ張る若い女性、男性の背中には醜い老女が覆いかぶさっている。

 19世紀、女性芸術家は世間的に認められていませんでした。

 カミーユは実の母からも見放され困窮のなかで精神を患って、制作した作品の多くを破壊しました。また、ロダンは自分のアイディアを盗作していると非難。最後は南仏の精神病院にて孤独の内に息を引き取りました。

 二人の天才、壮絶な人生です。

※ フランス語 、英語 The Mature Age。またはThe Destiny、The Way of Life、The Fateとも呼ばれる。

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The Thinker

2009-09-14 | 外国の風物
ロダン美術館に行きました。
 セーヌ川の左岸、アンヴァリッド(廃兵院)に近いところです。

 入り口で作品解説のオーディオガイドを借りました。日本語もあります。おかげで色々なエピソードが理解できました。やはり専門家による解説は興味深いものがあります。



 この建物自体にも長い歴史があり、貴族の館から始まり、女子修道院の寄宿学校、一時荒廃、芸術家たちのアパート兼アトリエ、そしてロダンが買い取って自分の住居兼アトリエにしました。現在は彼の作品を展示する美術館です。

一番有名な「考える人」は、フランス語 Le Penseur、英語では The Thinker。
 入場して直ぐの庭にありました。



 さすがに存在感があります。
 この作品が完成するまでに、何度も作り直されました。初めて展覧会で発表された時、美術界の評判はよいものではありませんでしたが、結局、彼の生涯を通じて最も有名な作品になりました。
 あとで出てくる「地獄門」にもその小型版が採用されています。

 順路に沿って、次に現れるのが「バルザック」です。
 フランスが誇る大文豪バルザックの偉業を記念して、その銅像の作成がロダンに依頼されました。ロダンは、当時もはや伝統的な写実的彫刻の域を脱しており、いかにして創意あるバルザック像を表現するか、大いに苦悩しました。その足跡は、実際、ここの建物にある展示物で詳しく説明されています。
 彼の創作は、なんと、バルザックの脳を彼の頭上に載せることでした。お腹を突き出した堂々たる文豪像を創り出したのです。依頼主のバルザック顕彰協会はこの像に対して大いなる不満を表明しました。また当時の美術界からも異端視されたとのことです。



次は、「カレーの市民」。フランスと英国間の何度もの戦争を象徴する群像です。

 欧州の歴史に不詳であるボクには、その故事をしりませんでした。音声ガイドによれば、「カレーとは、海を隔てて英国に対面するフランスの港町。その町はある戦いで英国に占領された。占領後、英国王は、降伏の証として6人の市民に町の鍵を持参させ、その人々をみせしめとして処刑することを要求。人選は自分の意思によるものであり、6名の犠牲者が鍵を持って降伏に臨む場面」となっている。...最終的には英国王妃の助言で処刑は免れるが。



ダンテの叙事詩に基づく「地獄門」。
 この作品には、多くの場面と人物が描かれています。作品の構想とその素材の作成には試行錯誤が繰り返されました。ロダンの生存中には、現在の形での発表はなされませんでした。死後、弟子の手によって残された資料を元に、すでに出来上がっていた個々の素材を用いて構成されたのが現在の作品です。よって未完成とされています。

 この彫刻に含められている多数の素材彫像各々には、ダンテの戯曲に出てくるエピソードが秘められています。

 東京上野の国立近代美術館にも置かれているので、見た記憶があります。




これは、参観者がつれていた本物の赤ちゃんです。この日は無料公開日であり、多くのパリ市民も鑑賞に訪れていました。



本館を囲む庭園の所々にこのような名作が立っています。
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パリ、スーパー

2009-09-13 | 外国の風物
仕事のことは別にして、すこしパリの風景を紹介しましょう。



 パリで、普通はホテルの部屋の水道は飲めるのですが、硬度が高いこととホテル建物内のポンプ・パイプが古いとか維持管理が不良かもしれないので、瓶入り水を買うことにしました。
 近所にスーパーマーケットがあることが分かったので、水、ワインと乾き物のつまみ類を買いに出かけました。



 「カルフール」、日本にも十年ほど前に幕張などに進出しました。その後、あまり拡大していません。販売商品とか展示方法が、もっとフランス雰囲気かなと都会の消費者が期待したのですが...東南アジアには、大々的に進出しているようです。

 日本出店では、巨大店舗、山積み展示、野菜や果物をプラスチックのトレーにラッピングして売ることをやめ量り売り・自分で重量測定し価格シールを袋に貼り付けてレジに持っていく。フランス仕様の商品は少ない(高くつくため)。
 フランス的合理主義の店舗運営とか価格設定、サービス(安いのですが、日本的基準からは雑でおおざっぱとの印象か)が、日本の消費者の支持を得られていないのでしょうか。最近の事情は日本の店舗(調べたら、「イオン」が買収していて日本国内で6箇所あるとのとこ)行っていないので不明。

 ショッピングモールの入り口で、店員がセグウェイに乗って、ビラやクーポンを配っていました。



数個の水などを買いましたが、レジは長い列でした。

 その横にある、これが「セルフレジ」です。




 商品価格シールのバーコードを、自分でスキャンした後に買った商品を置く場所。実際は、重さを図る重量計が仕込んであります。その重量データと、バーコードで読み取った品物の重さを測ってチェックします。
 最後に、クレジットカードを指定のスロットに入れて、総計を確認して暗証番号を入力します。現金で精算することも出来ました。



 このレジの後方にセルフ食堂の有人会計レジがあってそこにいる店員が、一応、このサポートと監視をしていました。

 合理的ですね、ほんと。

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高瀬川(京都)

2009-09-13 | 油彩水彩画、雑誌の表紙
かつては運河として使われ、鴨川二条の西から発する。
 豪商角倉了以(すみのくらりょうい)が1611年に伏見まで開削した。淀川と連絡し当時の物流の大動脈となった。現在、木屋町通では繁華街に沿い桜の名所でもある。
(ITUジャーナル September2009)
 
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BBWFE2009

2009-09-12 | 外国の風物
パリでの国際会議イベントの話題から。

 デファンスという地区があります。
 凱旋門から北西に2kmくらいの高層ビルが林立するビジネス地区に、大規模な会議&展示会施設があります。その会場にて会議とトレードショウが開催されました。

 この業界の有名人や大会社の社長などが、開会式に登壇してプレゼンをしました。
 オーケストラが演奏を始めるとき、音あわせとして第一バイオリンが音を出します。調音のためですね。これを Keynote と呼びます。
 多数の講演者が集うコンファレンスでも、このことに倣ってキイノート(基調)講演が最初に行われます。

 この会議では複数のキイノートがありました(語源的にはなにか変です、キイが違ってていたら困りますから)。

この方は開会式の議長:




 1000人以上入る会場はほぼ満員でした。



 この講演者は若い方ですが(子供が十代と話してましたから..)、北欧の大手通信機器会社のCEO(社長)です。スライドもきれいで、内容もエレガントでした。スピーチライタがいるのでしょう。当然かな...社内パーティで、会社の秘書に「タコス食べたいね」といったところ、彼女曰く「ICT(情報通信)がこれだけ発達したのだから、社長さん、メキシコに電話して本場のタコスを(電子的に)送ってもらってよ」と。
 2050年までの、情報通信の発達予想をユーモラスに話しました。




中国系メーカーさんのプレゼンスが、すごいです。併設されていた展示会にも行っていくつかのブースを見学しました。
 
 日本のメーカーさんも、静かに数社が展示していました。





もっと少人数のセッションが同時平行で、テーマごとに多数開かれました。

 「モバイル(携帯電話)におけるリッチサービス(多様な機能)」なる分科会を聴講しました。
 議長はオレンジ社(本社はイギリスの新興携帯電話運用会社で、フランスにも進出、この会議のメインスポンサー)の人です。登壇者は5名。フランスの異なる携帯電話会社2、メーカー1、イタリアの携帯会社1、日本の大手携帯会社の欧州研究所1。聴講の価値がありました。

 「リッチサービスセット国際規格」は国際標準化が実用的な段階まで完了して、今は「相互接続」の成果に議論が移っていました。

 で、日本の某社の発表は、・・ちょっとピントはずれでしたね。
 会場でのリアルタイムの「デモ」に、かなりこだわっていました。電波状態が悪く時間内には成功しませんでした。
 なぜ「リアルの実験」に強くこだわるのか。もともと試作実験の紹介ですし、このプレゼンのために数人のスタッフを従えてきていましたが。

 講演とその後の質疑応答では、「競争会社に対する差別化」を度々強調していました。電波という国民共有の財産、電波を政府からあたえられて事業をしていて、現時点ではトップシェア会社の主張としては節度がないと思いました。
 一般の消費者にとっては、安くて、高速で、壊れない、音声とデータ通信が可能なサービスこそが必です。
 それ以上のリッチサービスは、「電波免許」不用な情報プロバイダに委ねるべきでしょう。もしモバイルオペレータがその分野で仕事をするならば、競争環境を同等にするため経営分離が必須ではないでしょうか。

 
夕方、凱旋門に行ってみました。



 これから数回、パリの点描を掲載していきたいと思います。
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