玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

限定つきでどこでもできる

2019-12-22 07:26:48 | おつきあい
稲刈りが終わらない。遅延型冷害を受けたところは数日おきの雨で水たまりがあるので乾くのを待っていいるが今年は乾きそうもない。来年に持ち越し。

 宴会をどういうふうに開くか考えたが穀物菜食では食材消費が風通の宴会よりだいぶ少ないとわかった。穀物菜食の人間は自分のことを大食いと思っていても普通の人と比べれば三分の一ぐらいだ。
 普通の宴会に出席すると合うものがほぼなにもないという状態で見ているだけになるので、時間がゆっくり過ぎていく。一人でお茶を飲んでいるのと変わらない。

 少しでも穀物菜食に興味を持っている人や、自然栽培の作物を作っている人、食べている人が周囲にいると、だんぜん話がおもしろくなるので時間が早く過ぎていく。
 自然栽培で作物を店に出荷されているかたでも純然たる穀物菜食ですごしているかたはあまりいない。少し孤独を味わうことになるが、やむを得ない。

 普通の宴会は多いに飲んでいっぱい食べて楽しむのが主催者への礼儀だ。自然栽培に興味ある人や自然栽培の作物を販売している農家、消費者の宴会は井戸端会議の延長という感じで、腹八分目になっている。

 出席者が作った料理を持ち込みで楽しむ宴会は最高だ。テーブルにばらばらに並べられて他の出席者の料理と隣り合わせでも自分で作ったものはわかるから、他の出席者が作ったものに植物性以外のものが入っていても自分で作ったものだけ食べていれば家にいるのとなにも変わらない。それで他の出席者と話があってくれば楽しくなる。
 他の出席者も植物性だけの料理は味がものたらないから手を出さないので急がないでも腹八分目になる。

 穀物菜食には持ち寄り宴会、パーティーが最適。植物性だけ料理がテーブルに並ぶのは持ち寄り形式だけ。これを家でやるようにしようと考えると、植物性だけの料理を出す主催者には誰も興味がないので、

  勝手にやってろ

となるのがわかる。

 自分で音楽会でも同じだ。普通の人は植物性だけでは腹八分目にもならないのでかえって欲求不満になるだろう。かといって植物性以外のものを家に持ち込んでもらってもーーーー
 当分の間、家で宴会を催すようになったら、外食。できるだけ和食で行く。
 同時に保存食形式の宴会をできるように家の中を作っておく。生の植物性食材を出席者が自分で料理する。出席者とともに主催者もいただく。出席者が主催者を楽しませることになる。主催者に負担がかからない。穀物菜食に限定してもらっても、どこの家でもやれる。やらないだろうが。
 
 

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普段と変わらない旅行

2019-12-21 02:17:45 | おつきあい
 昨年、北海道へ行った時は自炊のできる民宿を借りた。オーナー様ご夫妻と初対面のご挨拶、帰りにはお別れのご挨拶をした。オーナー様ご夫妻は2階にお住まいで宿泊客は一階を使わせていただいた。玄関は別々だった。一階を何の気兼ねもなく使えた。壁いっぱいに油絵がかかっていて目を楽しませてくれた。

 ものぐさ人間はこういう観光地の民宿を作ろうと考えているのだろうか。見所があれば自炊してでも宿泊客になるし、江戸時代には数ヶ月にわたる湯治客のために自炊できる温泉宿があった。それと同じ必要性をつけるのはずいぶん無理な話だ。

 目的地に長期滞在すると食費がかかるのでそれを安くするにはどうするか、自分のための料理をどうするか、となれば自炊以外にない。
ものぐさ人間も自分の食べ物を変えたくないので自炊できる民宿は何がなんでも必要だ。観光地に行き景色を見て、雰囲気の匂いをかいで、ご当地名物があればお土産として宅配で送る拠点となるのが自炊できる民宿だ。
 普通の人はわざわざ観光地にいってまで自炊する気はない。朝食、夕食つきだ。自炊ぐらいめんどうなことはない、とたいがい思っている。

 ところが、ものぐさ人間はちょうど良い機会だと玄米のお弁当屋さんを見つけて楽しんだり、玄米を出してくれるカフェを見つけて休憩したりで夕方にはお腹一杯でご当地の自然農の食材を使った料理は余って翌日に持ち越し、数日起きに夕食を作れば充分だった。
 玄米を提供してくれるところを見つけるのは簡単だったので移動がおもしろく次はあそこだ、とかで目的地が増えた。
 かえって茨城県内での玄米ごはんを提供する店の少なさにくらべ不自由しなかったので、そちらにビックリした。

 自炊してでも、というのは観光地や湯治ができるところだ。メニューに玄米が入っているところはすぐに見つかるので自炊は数日おきで間に合う。
 周囲に玄米を出す店が無ければ自炊は日ごと続く。たとえ食材が当農園で取れた安全安心なものでもめんどうだ、となるだろう。

 お客差をどうやったら引き付けられるか。自炊してでも泊まりたいとどうすれば思ってもらえるようになるか。それを解決してから音楽会。音楽会ははるか先のことだ。
 どういう目的でお越しいただくか。たいがいの人はネットで自宅で観光旅行。移動そのものがめんどう。そういう中で二三日ぐらい泊まってみるか、と思ってもらえるにはどうすれば良いか。


  解決策は
 音楽会で専門家を呼べば費用がかかるが宿泊客がご自分で歌手になったり演奏者になれば無料。電子音不使用で。日々、練習すると宿泊で発表会となる。

 宿泊のお客様はすべてご自分で何事も行うのでたいへんだが、カラオケの延長なので多いに楽しめる。食べ物も飲み物も体調にあったものをご自分で作るので仕事に差し支える事などない。

 植物性だけでは満足できない人もいるだろう。我慢してもらうしかない。
 
 誰も来ないな。
 

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自作お食事会の音楽会

2019-12-20 00:36:32 | おつきあい
 穀物菜食の宴会などあるのかどうかわからない。自然食レストランでも食い放題、飲み放題ならなんとか穀物菜食の宴会ができるかも知れない。
 宴会に出る気のない隔たった嗜好の穀物菜食の人間のこのごろの関心事は食事しながらの音楽だ。  

 自然食レストランのイベントで宴会に近いものが時々ある。そこで酒類を楽しんでいるかたはあまり見かけない。音楽のライブもあったりする。それを皆さんは、ジュース、ノンアルコールでゆっくり聞いている。

 アニメの中で、
ヒロインが海外の金持ちの邸宅で挨拶した言葉が印象に残っている。
ーーーーー楽しんでピアノを弾きますからみなさんはいっしょうけんめい聞いて下さい。ーーーーーーー
と部屋に集まった音楽通の奥様がたに挨拶するシーンがある。この場合もパーティーを兼ねていて招待客は無料だろうが、いっしょうけんめい聞くかたがたの前で主人公が演奏を楽しんでいる雰囲気が良く表現されているような。

 自然食レストランで料金を支払ってイベントに出席した時、皆さん静まり返って音楽家に注目して一心不乱に聞いているすごい光景に出くわしたことがある。
  音楽家は楽しんでいたのが体の動きでわかった。のりにのったところで
ーーーー皆さんもっとリラックスして聞いて下さいーーーーー
と言われた時は、現実がアニメの世界とおなじになったので本当にビックリした。

 自宅で楽しむ音楽はイヤホーンか、スピーカーからだ。以前、スピーカーからの音楽に執着したものぐさ人間は、今、実際に音楽家を招いての音楽会を考えはじめた。
 食事をお客様に提供する対価で音楽家に支払う、と言うが、クラシック音楽なんて誰が聞くのか。前提からして方向違いだ。
 スピーカーで聞いていたころは大音量でオーケストラだった。ストレス発散を兼ねていたようだが、作曲家のリラックスさせようという意図に共鳴していた。それを室内楽を聞いて楽しもう、というのだから、どうしたのだろう。
 ネットでは音楽は、アイドルの音楽だ。それをわざわざクラシック音楽といっているのだから。
 クラシック音楽界にもアイドルはいるのだろうか。

 内装を音楽に向くようにする計画が立っていないのでどうする気だろう。

 第一、営業で免許もなくお客様に食事を提供して対価をいただくなんてことをしたら法律違反だろう。
 音楽会を生で楽しむにはお客様から直接対価を受け取ればお客様は多いほうが良いが食事は出せないだろう。海外では無料招待なのに考えていることが、まあーーーーーー

 ないないずくしでも実現可能な方法はある。
 

 味噌作りの会のように、参加者が自分で手を加えて作る分には問題ない。お客様に台所に入ってもらい料理をお客様が作れば問題ない。味噌作りの会とおなじだ。
 そこまでして、生のクラシック音楽と穀物菜食を希望するかたがいるのだろうか、が大問題。邦楽の古典的なものとなるとなおさらーーーーー

 よく考えると、これは味噌作りの会をまねた料理教室だ。メニューと作り方があるが先生不在の料理教室。そこが少し味噌作りの会とは違うが食材は植物性だけ。音楽は自作お食事会の中の音楽会で楽しむことになる。

 ちょっと考えても、こんな面倒なこと、誰がいったいーーーーーー









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どこかで合わせている

2019-12-19 01:20:15 | 
 米の収量がガッカリするほど少ないので狭いながらも通常作業だ。もし、冷害にあわないで昨年並の収量があると、農作業場がなくなった分疲労でウンザリしただろう。
 来年は、収量をグーーーンと増加予定なので新しい農作業場も必要になる。しかし、できるだけコンパクトして現状維持で体がまいらない方法が無いか、考える。
 考えようによっては、大減収で良かった、楽々、楽々、楽々で脳みそが活発に将来を考えている。
 体が楽だと脳が良く働く、といってもくだらない将来の構想だ。

 なぜ、台風で農作業場を壊された年に台風被害でなく冷害で大減収だったのか。冷害が先で台風被害は後。逆なら話はわかるが脳みそが作業場が壊れることを予想してわざと浅水にして大減収にしたのではないか。意識に現れないところで、浅水を実行した深い意識がある。過重な消耗から体を保護するため無意識に実行させる深い意識があるのか。

 すると、人間も本能的に天気を予想して農作業していることになる。
 ところが、来年の天気はどうなるか、と予想しようとしても全くわからない。梅や桜の開花時期が遅れたとか早いとか、そのようなものだ。

 台風の影響を軽くするため、深い意識は表面意識に悟られることなく浅水を実行し減収させて体力消耗を軽くした。

 こうして見ると、9月中旬の台風を7月上旬の冷害で収量減少で対応したので、6月下旬には浅水にしていたことになる。中耕除草を行っていたので浅水のほうが作業がやりやすかった。そして、そのままにして、深水にはしなかった。

 よく考えると、これはただの、めんどくさがり、だ。中耕除草が終わってから深水にするため排水口を上げなければならなかったがめんどうなので、また、次回の中耕除草の時に水があるとじゃまなので浅水のままにした。
 それで、浅水でどれだけもつか、などとくだらないことを試していた。
  
 要するに、ものぐさだっただけ。

 それでは、なぜ、冷害の年になったにもかかわらず中耕除草に全力をあげたのか。
 なぜ、深水にして冷害を防ごうとしなかったのか。中耕除草最優先にして浅水を続けたのは、ただの、ものぐさだからか。

 確実なのは、大減収でホッとして良かったと思っている怠け心、ものすごいネガティブな体を防衛する意識がある、ということ。そのネガティブな意識は中耕除草のような重労働を経験した後で意識に上らないところで、やめろ、やめる、やめた、となった。

 深水は体に負担がかからないからやれることだ、とわかった。田の中に入って除草など始めると浅水にしておけ、と深い意識が足を引っ張る。やめたの意識いっぱいになる。本人はやる気十分でもブレーキをかけるものは体力消耗だけでなく無意識にやる気をなくしている。

 体が楽、というなら、なにもしないほうが良い。深水は趣味で行っている遊び要素のある意識が行っていたが、中耕除草をやると増収しなければ、というプロ意識が占めて、めんどうという意識が優先するので、深水にしなくなる。

 ものぐさ人間の場合、プロ意識が出ると失敗する、ということがわかった。趣味の意識で行け。絶対失敗するな。収量はほどほどのところで行け。

 宴会のメニューを充実させること、保存食品で充実させる料理法、などこちらはプロ意識が必要になる。失敗など恐れなくても良い。
 プロ意識をどんどん発揮して失敗するから、原料供給よろしく。


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自宅で宴会 計画

2019-12-18 03:36:11 | おつきあい
 パーティーに注意して洋画を見ると、主催者の自己負担だけで大勢の招待客には全く負担がないようだ。しかも、立食形式のパーティーだ。招待客はテーブルの飲食物や壁際のテーブルの飲食物を思い思いに取っている。
 ずいぶん前の洋画で、客に出ていってもらいたくなった時はっきりと、ただ酒をお飲みにお集まりの皆さんーーーーー出ていけ、と言うシーンがあったような。
 着席のパーティーでは同じシリーズの洋画で、長ーーーーーいテーブルの両端に若い当主と花嫁候補が座っての食事のシーンがあったような。常識では当主と妻が両端に座り長いほうの両側にお客が座ることになるのだが、花嫁候補はテーブルが長すぎて当主の声が聞こえないので当主の脇へ移動して食事を始めーーー

 宴会には普段の食事より高価なものを並べることになるので、費用を分担しようとご祝儀を持って行くようになったのだろうか。
 自宅で宴会なら、これ家で作ったものだけど、とか、これを料理して、とか食材を持ってきてくれるだろう。お金の人はいないだろう。
 ずっと昔は男女別々の宴会で、お坊さんをよんでの宴会があり、会場は持ち回りで自宅だったらしい。当番の家で料理して宴会も当番の家で行った。
 今は外注化して、家を使うのはごく少人数の場合だ。

 できるなら、自宅で気安く行いたい。昔の持ち回り宴会のように。三日三晩でも無制限で。食材は植物性でノンアルコール。宿泊可。誰も来ないような気がするが考えていることはーーーーー

  メニュー

 玄米の混ぜごはん
 野菜と海藻類の味噌汁
 味噌そのもの
 野菜の玄米麹の漬物
 野菜の煮物
 大根おろしざるそば
 ワカメとネギのうどん
 湯豆腐
 納豆
 甘酒
 緑茶

ノンアルコールビール、ノンアルコールワイン、ノンアルコール日本酒、りんごジュース、ぶどうジュース、みかんジュース、
  お酒は
日本酒、ビール、ワイン、焼酎

  作り方
玄米の混ぜごはんは具を混ぜるのは当日。玄米ごはんはあらかじめ作っておく。具もあらかじめきざんでおく。
味噌汁は野菜をあらかじめ塩茹でして冷蔵。当日湯を沸かして塩茹で野菜を入れ味噌と混ぜる。
味噌そのものは、長期熟成味噌を小皿にもる。なめてもらう。
野菜の玄米麹の漬物は、つけておいたものをかめから取りだし切って小皿に並べる。


 手順
緑茶
日本酒をおちょこで乾杯

以下、お膳に一度に並べる

甘酒
野菜煮物
味噌汁
玄米混ぜごはん
白米混ぜごはん
梅干し
野菜の玄米麹漬物
なめ味噌
湯豆腐
納豆


希望に応じて、様々な飲み物を追加していく。

建前上、自宅なので時間無制限。締め切り無し。宿泊可能。


 良く考えると、これは民宿だ。

 宿泊できるように、寝具その他整えておくとーーーーー穀物菜食の民宿になる。
 誰もこんなところなど希望しないだろうが。

 農作業場の新築より、家の内装を充実させる計画をしたほうが良いような気分になってくる。
 野菜作りを昨年やめた。それを復活して米と野菜と果物を作り、加工はすべて外注にする。

そうすると、自宅で好きな料理で宴会ができる。少し作り置きして御膳に並べれば良い。誰も来なくてもいっぱいになったお客様を想像して、向こうの壁際とこちらの壁際で空間を隔ててゆっくり噛んで噛んで噛んでーーーーー
 
 民宿の場合は、豆腐などは注文が入ってから買い出し。野菜の煮物などは夕食にすると大半は保存食だ。お客様が来ない場合は保存期間が伸びてまろやかになる。

 何の魅力も無い。延々と同じ食事。
 しかし、昔のように宴会を三日三晩体験したいーーーーー誰も来なくてもやる気があるようで。それなら、一週間でも飽きるまでどうぞ。どうせ、三日と続かない。体が心配になって家の中にいられなくなる。農作業からもお呼びがかかる。

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