http://the-liberty.com/article.php?item_id=9560
2015年4月の開学を目指していた幸福の科学大学設置認可の申請に「不正」があったとして、文部科学省から学校法人「幸福の科学学園」に対して、2014年10月31日から5年間、大学の設置を認可しないとの通知があった。
文部科学省のいう「不正」とは、文科省宛に「『下村博文守護霊の霊言パート2』の要約」とする書簡を送付した人物がいること、その書簡の内容が下村文科相の意思・考えとは全く異なっていること、を指す。さらには、こうした霊言本の出版予告などで、直接的危害を連想させるような発言があった、などと主張している。だが、これらは事実誤認と曲解に基づいたものだ。
本通知を受けて、学校法人側は、「学問の自由、信教の自由を侵害する不当な処分と考えます」とのコメントを出した。
◎文科省の判断は憲法違反
文部科学省が指摘する「霊言の要約の送付」や「霊言本の出版」は、通常の宗教活動の範囲内であり、不正行為とは程遠いものだ。これを「不正」と断じ、刑法上や民法上の問題があるかのように印象操作をしているのは、憲法の「信教の自由」に反している。このような一方的な解釈によって、5年間も大学認可を認めな いのは、「信教の自由」に加え「学問の自由」の著しい侵害だ。
しかも文部科学省は、幸福の科学大学の設置を不認可とした理由に、「霊言は学問の対象ではない」ことを挙げている。これは、学問の定義や宗教の教義の内容に踏み込んでいる点で、憲法で保障された「信教の自由」と「学問の自由」をダブルで侵害していると言えよう。
さらに言えば、信教の自由の中には、宗教教育をはじめとする「教育の自由」も含まれる。宗教家は人間としての生き方を教える「人生の教師」であり、特に幸福の科学の教義は、その中に高度な学問体系を含むものであるからだ。
文部科学省の一連の判断は、宗教に対する見識を著しく欠いている。今回のように、一部の国家公務員の歪んだ解釈と一片の通知で国民の信仰を弾圧するような判 断がまかり通るならば、日本は特定の権力者の恣意的な判断によって動かされる「人治主義」の国となり、中国と変わらない「国家社会主義」の国になってしま うだろう。
◎新しい学問が求められている
幸福の科学グループは、過てる不認可判断に対して異議を申し立て、引き続き幸福の科学大学設立を目指すと同時に、幸福の科学大学と同規模の私塾「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」(HSU)を、本年4月から開いている。
既存の大学における学問は、実用性や国際競争性を失いつつある。その中にあって、学問の新しいフロンティアを切り開こうとするHSUの挑戦は、学問界からも期待を持って受け止められている。
こ のほど、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(HSU)の、人間幸福学部の黒川白雲プロフェッサーや、千田要一プロフェッサーらの「祈りの治癒力」と題 する26ページの論文が、アメリカの心理学の学術書「Advances in Psychology Research. Volume 104」に掲載されたことは、その証左であろう。
憲法違反の判断によって、新しい宗教をベースにした学問を打ち立てようとする志をつぶすことは決してできない。
日本を、中国のような自由や人権を抑圧する国にしないためにも、文部科学省は幸福の科学大学を一日も早く認可すべきだ。
【関連記事】
2015年4月号記事「幸福の科学大学」不認可問題 文科相の判断は憲法違反である 小浜 逸郎氏インタビュー
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9224
2014年12月24日付Web記事 不認可の幸福の科学大学、文科省が曲解した教育内容
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8977
2015年1月号記事 幸福の科学大学不認可は平成の宗教弾圧だ - 文科省・下村事件解散 Part.1
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8768
2015年4月号記事 ハッピー・サイエンス・ユニバーシティで育てる人材とは
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9252
─ ─ ─ ─ ─ ─
こんな文科省の大学認可の審査のやり方は、これまでも宗教系の大学すべてに対し行ってきたことなのか!?
あるいは宗教系に限らず全ての私立大学の学習内容にまで言及し、こうしなさいと指導していたというのか!?
そんな天才的な頭脳を文科省大臣がもっていると自ら思い込んでいるなら恐怖だ。
自分は何もかも知っている、だから自分の考える通りの学習内容で学生は充分優秀になれ天才になれ、この国を発展させる人材に絶対になれる!だから、自分の言う通りにした大学だけ認可する。そういう基準なのでしょうか!?
一役人が私立大学の学習内容にまで言及する。
現憲法では一応そうした間違いがないようになっているはずだ。現憲法は確かにGHQ憲法だが、信教や学問の自由は保障されている。そしてここは間違ってはいない。だから日本はなんとか民主主義を保てたのだ。
しかし、これでは民主主義ではないではないか。
公立の小中高にいじめが蔓延し、なくらならず、学力も落ちてダメなのは、この文科省の一役人が、こうしろああしろと方針を押し付けるからに他ならない。
なんなら、認可された私立の仏教大学では“あの世は無い”つまり“神・仏は存在しない”と教えている。恐らく、文科省がそう仕向けたのだろう。そうして、意味も無い形骸化した僧侶屋さんが誕生する。
僧侶屋は“彼らにとっているはずもない”仏の心だと言いつつ(これって騙しじゃないか!?)脱原発運動を展開したりしている。
神も仏もわからないから“平和”の本当の意味も理解できないのだ。こうして、日本を危険にさらしてまったく間違いにも気付かない“宗教家”を輩出することが今の私立宗教大学に求められる最重要方針だと、一役所に過ぎない文科省が私立校に対してまで押し付けているのです。
危険なのはどちらなのだろう。