http://the-liberty.com/article.php?item_id=10634
法務省は18日、死刑囚2人の刑を執行したと発表した。そのうち1人は、川崎市で2009年に3人を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた津田寿美年死刑 囚。裁判員制度が始まって以来、市民が審理に加わって決まった死刑が初めて執行されることになり、改めて裁判員制度の在り方に注目が集まっている。
民間人が裁判の審理に参加する裁判員制度
裁判員裁判とは、刑事裁判において民間人から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する制度。2009年に始まった。アメリカ等の陪審員制 度に倣った制度だが、アメリカでは市民の陪審員が有罪か無罪かを決め、その刑の大きさは専門家である裁判官が決めるのに対し、日本の裁判員制度は「死刑」 「懲役○年」など刑の重さの決定にも裁判員の判断が加わるという特徴がある。
死刑を決定した裁判員の苦悩
津田死刑囚の判決を担当した裁判員は、判決後に次のように語っていた。
「死刑執行のニュースを見るたびに、どの死刑囚の死刑が執行されたのか気が気でない」「判決後も『これで正しかったのか』と悩んでいる裁判員はたくさんい る。死刑判決に関わった人の心の負担はなおさら大きい」こうした実態があるにもかかわらず、裁判員の負担の軽減や心のケアなどの課題は未解決のままだ。
また、裁判員の経験者同士が交流する団体は2014年2月、「裁判員が死刑という究極の判断を求められる一方、死刑執行に関する情報が少ない」として、死刑執行の詳細を明らかにし、国民の議論を促すよう求める要望書を法務省に提出した。このように、初の死刑執行をきっかけに、裁判員制度の必要性や改善のた めの議論を求める声が高まっている。
問題だらけの裁判員制度は見直されるべき
プロの裁判官ではないため、十分な理解がない中で「死刑」という究極の判断をしなければならない裁判員の苦悩は、その死刑が執行された時に極限に達する。 さらに裁判員候補者の6割が裁判員を辞退するという実態もあり、「裁判に市民が参加することで民主的な裁判を行う」という当初の目的は事実上果たされておらず、制度自体が形骸化してきている。
法律の素人がプロと一緒に裁判にかかわり、量刑にまで巻き込むことは、プロの裁判官が本来の仕事をしていないと言わざるを得ない。さらに、審理のために何度も裁判所に足を運ばせるこの制度は、民間の仕事の妨げになるケースが多い。メリットよりもデメリットの方が多い裁判員制度は、早々に見直されるべきではないか。(真)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『政治の理想について』 大川隆法著https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=112
【関連記事】
2013年8月1日付本欄 裁判員のトラウマ防止対策 それよりも制度そのものの抜本的見直しが必要http://the-liberty.com/article.php?item_id=6432
2013年5月6日付本欄 元裁判員が国提訴へ 遺体写真などでストレス障害 制度の廃止と司法界の自助努力をhttp://the-liberty.com/article.php?item_id=5993
2012年5月5日付本欄 裁判員制度導入から約3年 なぜ廃止が必要なのかhttp://the-liberty.com/article.php?item_id=4260
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アメリカの陪審制度はどうなってるの?と考えてみると
アメリカでは量刑までは陪審員が決めないようですね。
ザックリと検索して
こんなのがヒットしました。
http://www.superdramatv.com/line/lawandorder/features/otherfeatures/baishin.html
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c8_2.html
裁判員制度では裁判官と裁判員が法壇に並びます。そして裁判官と裁判員が合議体を形成し量刑まで決める。
参審制ではどうなのかなと検索すると
http://www.courts.go.jp/vcms_lf/20909006.pdf
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe/e/021f61256cc22aabe89481a7f958b513
やはり裁判官と合議体の参審員たちは裁判長と並び法壇に着席するようです。
日本の裁判員制度はアメリカと欧州のをごちゃまぜにして作った感がありますね。個人的感想ですが。
ま、アメリカは州によっても最高刑が違いますし道州制ではない日本が完全に真似できない面があるのかも
ん?そうすると・・参審制のドイツ・フランス・イタリアでは最高刑が死刑ではありませんね!近年順次廃止されてます・・・。
これだったら量刑まで加わっても一般人の責任はそれ程ではありません。
裁判員制度はこうして見ると、いずれは日本から死刑制度を廃止しようという動きなのかもしれません。
ただ、死刑そのものを今の日本でなくすのはどうでしょうか?
メディアや情報網の発達もありますが、凄惨な事件も自分勝手な事件も多く、遺族の気持ちを汲むとそうそう失くせないのではと思います。
ん~・・・
日本の裁判の歴史を振り返ると、歴史に疎い私には大岡越前守がパッと思い浮かびます。(時代劇のw)
あんな風に善悪を裁く偉い人が一人いて警察にあたる番所の人たちの捜査をもとに絶妙なお裁きをしていた。たしか大岡越前守は自分でも現場に赴いたり事情聴取したりしていたと思う。
それに比べ昔の外国の裁判にはどうも怪しいイメージがあります。裁判官の私見が入り込み公平さに欠けがちなような・・。
そういうのを防ぐ為に一般市民を入れ込んだ歴史もあるんじゃないでしょうか?
日本では法曹界の人たちにも職人みたいな見方があって「プロ」という認識で見られている面があると思う。実際、専門的に法律の勉強をして法律を使う。それだけではなくプロというからにはそれに見合ったメンタルや考え方ひいては信条も持っていらゃっしゃるという信用も多少あります。衆議院選と一緒に裁判官審査もできますし~。
現時点の日本には現時点の日本に合ったやり方があるんでしょうね。