かんべいさんのブログの10年間のエントリの中から著者が「いかにもこれが経済」と感じられるものを厳選して本にしたものです。
身近なことがらをネタに鋭い切り口を提示するところがかんべえさんの真骨頂で、当時のご時世が懐かしく思い起こされます。
それ以上に深刻なのは、ここ10年間、ITバブルや今回のミニバブルを経ながらも日本の経済や社会構造が抱える問題や課題があまり変わっていないということがよくわかること。
結局この10年で日本は経済や社会構造のあり方を変えたり課題を解決したわけではなく、「失われた10年」のあとに「得られなかった10年」が続いているのかもしれません。
そんななかで、かんべいさんは自在に世の中を切ってみせます。
日本という国は、世界のあらゆる著作が自国語に翻訳されているありがたい国なんです。極端な話、インドネシアやベトナムを母国語として生まれてしまうと、外国語を勉強しなかったら世界の古典が読めない。もっといえば英語で『三国志』は読めないけど、日本語なら司馬遷もシェイクスピアも読める。こんな有利な条件を捨てることはありません。「英語文化圏がWindowsなら日本語はMacなんだ」と開き直ればいいんじゃないでしょうか。世界の脇役として生きていくというのは、日本人には似合った生き方のように思えます。
たとえばこのへんのくだりは 『日本語が亡びるとき』と 『日本辺境論』 のコンセプトにも通じてたりしますね。ちなみにこれは2000年3月のエントリです。
日々の経済ニュースのにぎやかさにだまされて「山までは見ず」の仁和寺の法師(徒然草第五十二段参照)になってしまいがちなところに、「実は本堂はあっちなんじゃないかな」とぼそっとつぶやいてくれるかんべいさんはあらまほしき「先達」といえましょう。
ただ、実際に本堂にたどり着けるか、そこからどんな景色を見ることが出来るかは「法師」次第ですけど。
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