一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』

2015-11-25 | 乱読日記

良書。

外務省外交資料館、防衛庁防衛研修所戦史部以降、教科書検定臨時委員、日米「密約」問題に関する有識者委員会委員など一貫して問題国の歴史事業に携わってきた著者が、戦後の歴史問題の発端から現在に至るまでの事実関係と背景を年代ごとにまとめている。  

本書の議論の中心は、「過去の戦争」について、なぜ国民の多くが共有できるパブリック・メモリーが形成できないのか、というより、多様な歴史認識や戦争観の共存・競合を前提とする敗戦国が、どのように戦争や植民地支配に起因する「歴史問題」に対処してきたか、という点である。それによって、より本質的な問題群が見えてくると感じたからである。  

とあるように、本書は現在ではあまり話題にならない問題も含め、その原因と現在への影響について語っている。

たとえば、在外私有財産問題-日本人が植民地や占領地域に残した財産の国家による補償問題-ドイツ(ヴェルサイユ条約)やイタリア(イタリア平和条約)でも政府による補償が明文化されたにもかかわらず、日本政府の財政事情や「他の戦災者との公平」からの配慮の要求が功を奏してか講和条約では定められなかった。

また、植民地住民の戸籍問題。
国際慣行では、ある地域が割譲される場合には住民には国籍の選択権が賦与されているにもかかわらず、講和条約発効時の法務府民事局長通達で韓国・朝鮮人、旧植民地出身者は敗戦までは「日本臣民」として扱われていたにもかかわらず(日本国内に在住している人も含めて)一律「外国人」とされ、国籍選択権を与えなかった(この通達については1961年の最高裁判決において合憲の判決がなされている。また講和条約発効までの間は1947年の外国人登録令により、在日台湾・朝鮮人は日本国籍を持ちながら外国人とみなされるという状態が続いて社会的問題になったこともあった。)。  
その後帰化要件が緩和されたとはいえ現在でも残る国籍差別問題を議論するにあたっては、この辺の知識は不可欠だと思う。


著者は歴史問題の根源は戦後日本が過去の克服をできなかったことにあると指摘する。  

このように、新憲法体制は戦前国家との「断絶性」を強調する国家像と、「連続性」を強調する国家像という、二つの国家像を内包しているということができる。戦後政治の中で、前者が基本的な国家像として定着していくものの、戦争や植民地支配という「過去の克服」という点では、それに相応しい解決策を提示することはできなかった。  

その一方、犠牲者意識に支えられた平和主義は、戦争に対する「リアリティ」を欠いていたがゆえに、戦争の評価と戦没者の追悼・慰霊とを切り離すという政府の一貫した立場と親和的であり、遺族援護法や恩給法を支える役割を果たしてきた。とくに、軍人・軍属の遺族の処遇を優先するという点で戦前と強い連続性を持つ恩給法は、戦争に対する評価を棚上げにした上で可能となった措置であった。

二つの国家像は、互いに矛盾するものとして認識されていたわけではなかった。天皇制維持の国際的認知を得るためにも、平和主義と民主主義の徹底は不可欠とされたからである。しかし両社は、国際冷戦と連動する国内冷戦(左右イデオロギー対立)に翻弄され、それぞれの立場は抜き差しならぬ対立に陥り、歪みのない形での「過去の克服」の道を閉ざしたのである。

戦後西ドイツは(中略)いわば普遍的価値を実現する戦後国家として再出発したがゆえに、「記憶・責任・未来」財団のような、戦後補償問題への持続的対応が可能であった。

しかし、日本の新憲法体制は、戦争や軍備を想定した規定の徹底的な排除という点では平和主義の規範性をより際立たせることになったものの、平和主義に依拠した過去の戦争の清算に関する法令や公的プログラムを有せず、歴史問題の解決に役立つものではなかった。


平和国家論をいわば「国是」として守り抜こうとすれば、そこには沖縄からの批判にも耐え、村山談話を力強く支えるような内実を与える必要がある。その内実とは、近代日本の絶え間ない戦争と帝国圏の傍聴の遺産について、広く歴史的検証可能は知的基盤の形成にあろう。それは、国や地方を問わず日本の行政機関に著しく欠けている「未来への説明責任」を果たすためでもある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする