「本とマンハッタン BOOKS AND THE CITY」が そもそも電子書籍も出版社の仕事だろ、ってなで池田信夫blogへの批判をきっかけに電子書籍について語っています。
一方で、ちょうど村上龍が文芸雑誌「群像」に連載した『歌うクジラ』を紙の書籍より前に電子化することをきっかけに電子出版に取り組む件を G2010設立の理由と経緯に書いています。
講談社は、電子書籍への深い理解がある野間副社長の英断により、紙に先行する『歌うクジラ』電子化に理解を示し、しかも制作をグリオに委託することも了解してくれました。
講談社の野間副社長が電子書籍に積極的なことはBooks and the Cityでもふれています。 (その講談社にかみついた池田センセイを切って捨てるというのがブログの本題)
個人的に、講談社の野間副社長が電子版や海外での事業にも積極的に取り組んできたのを見てきたこともあって、彼が公に自社の本2万点をデジタル化するぞと音頭をとるような宣言をしたことも、評価している。取次や書店や、色々としがらみも多い講談社だからなおさらだ。
ただ村上龍は、電子書籍には出版社はあてにならない、と言います。
わたしは、電子書籍の制作を進めるに当たって、出版社と組むのは合理的ではないと思うようになりました。理由は大きく2つあります。1つは、多くの出版社は自社で電子化する知識と技術を持っていないということです。「出版社による電子化」のほとんどは、電子化専門会社への「外注」です。わたしのアイデアを具体化するためには、まず担当編集者と話し、仲介されて、外注先のエンジニアに伝えられるわけですが、コストが大きくなり、時間がかかります。『歌うクジラ』制作チームの機動力・スピードに比べると、はるかに非効率です。2つ目の理由は、ある出版社と組んで電子化を行うと、他社の既刊本は扱えないということでした。いちいちそれぞれの既刊本の版元出版社と協力体制を作らなければならず、時間とコストが増えるばかりです。今後、継続して電子書籍を制作していく上で、グリオと組んで会社を新しく作るしかないと判断しました。今年の9月中旬のことです。
その理由としては、出版社の取り組みが遅れていることに原因があるようです。
電子化のコストは、リッチ化(注:画面の編集やアニメーション・音楽の挿入)の程度で異なりますし、リーダ・ソフトウェアの進歩によって今後下がることが予想されます。G2010は、電子化のコストについて著作者に率直に伝え、協議の上、制作費のリクープ前とリクープ後に分けて売り上げ配分を決めようと思っています。前述したように『歌うクジラ』の場合、リクープ前が、村上龍:グリオ:坂本龍一=2:4:1、リクープ後は、4:2:1でした。制作費リクープ後にG2010が受け取る料率は、リッチ化のコスト・作業量に応じて、「売り上げ全体の(端末仲介料を差し引いたインカムの10%ではない)」10%から30%という数字を考えています。残りは、基本的に、すべて著作権料として著作者に配分します。
普通は雑誌に連載しても電子化の権利は留保する、では出版社は連載をOKしないはずで、今回は講談社の厚意ということなんだと思いますが、上のようなスタイルをとるようになるとそもそも雑誌に載せないぞ、となってしまうんじゃないでしょうか。
村上龍のような人気作家だからできるような感じもします。
このへんは今後雑誌などのメディアを握っている出版社と作家の綱引きになるのかもしれません。
Books and the Cityではこういっています
重ねて私が、電子書籍は出版社がやるべきと考える理由に、電子書籍版は副次権ではないという考えだから、ってのもある。またまた専門的な話になっちゃうけど、普通に考えれば同じコンテンツであれば紙の本も買って、わざわざ電子書籍版も両方買う人はいない。電子書籍版の売上げは確実に紙の本の売上げを食う。従って、映画化権だの、ドラマ化権だのといった副次権に含まれず、いわゆる「プライマリー・ライツ」に含まれると解釈するのが正しいだろう。ということは、出版社が著者と「本を出します」という合意に達したのなら、本来は電子書籍権も出版社のオプションとなっていいはずなのだ。
問題は既刊本。
これはすでに一定の評価を得ているし、電子化すれば一定の売り上げが見込めます。一方で出版社側からは、過去に投入した販促費をどう評価する、という言い分も出そうです。
これについては村上龍はこう言ってます。
8:*既刊本の版元への配分
たとえばわたしのデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』(76 講談社)という作品の場合、当時は出版契約書が存在していなかったということもあり、版元である講談社の許諾および売り上げ配分なしで、わたし自身がG2010で電子化することが、法的には可能なのだそうです。ただ、講談社に無断で『限りなく透明に近いブルー』を電子化して販売することには抵抗があります。
そこでわたしは、版元に対して、電子化に際し、さまざまな「共同作業」を提案することにしました。たとえば、原稿データの提供、生原稿の確保とスキャン、写真家への連絡と交渉、さらに共著者がいる場合にはその連絡と交渉、そしてリッチ化の1部の作業、およびコストの負担などです。その上で、G2010が版元への配分率を決め、配分率は個別の作品ごとに設定します。たとえば『あの金で何が買えたか』(99 小学館)や『新13歳のハローワーク』(2010 幻冬舎)という絵本は、版元との新しい共同作業が発生しますので20から30%という高率の配分を予定しています。ただし、電子化への共同作業が発生しない場合は、配分がゼロの例もあります。
既存の契約があいまいという問題は(それ自体は将来的にネックになりそうですが)別として池田センセイが講談社に噛み付いている著者の取り分が少ない、という点についてはBooks and the Cityではこう言っています。
「印刷・製本などの工程がなく間接費の小さい電子書籍」なんだからもっと出せるだろう、俺たちゃ最大50%出してるぜ、という言い分なんだけど、出版社が紙の本を出す場合にかかるコストのうち、印刷・製本は実はたいしたこっちゃない。拙著ではアメリカでのコスト計算を風呂桶風の大雑把な数字でこんな風に紹介している。
1.著者とエージェント(いわゆる印税) 約10%
2.出版社(編集、製本、マーケティング) 約50%
3.ディストリビューション(いわゆる取次業) 約10%
4.リテイラー(いわゆる書店) 約30%
2.の出版社の取り分のうち、印刷代・製本代にかかる費用はそのうちの20%、つまり全体の10%になる。
そして、アメリカでも基本的に新刊のEブックの印税は15%がデフォになりつつある。別にカルテルとかじゃないから。
上で言う3と4の部分は村上龍によれば
*注:「 7:電子化のコストと基本的な売り上げ配分」と「 8:既刊本の版元への配分」における料率では、店舗側の手数料を、Appleでアプリとして販売する場合の「30%」という数字を前提にしています。
といういうことですから(appleは儲かるわけだ!という点はここでは置くとして)、これを前提とすると残り70%をどう分け合うか、が焦点になります。
村上龍としては、電子化への編集・加工とマーケティングを一番効率的な人がやるべきということで、作家側で70を握った上で貢献度に応じて版元に払うよ、といっているわけです。
このパターンが広まると出版社はピンチかというと、考えようによっては既存の版権だけあれば社員がいなくても儲かるという知財ビジネスに特化するという選択肢もあるかもしれません。
(この場合、要するに権利が企業価値になるのでファンドがTOBかけて従業員をリストラしちゃって・・・というのが起こりそう。)
また、このパターンはベストセラー作家とかの「強者連合」なら成り立つかもしれないけど、強者がいつまでも強者でいられるかはわからず、プラットフォームを維持するために新人を発掘していくとなると、結局自分で新たな出版社を作ることになるのと同じじゃないかということになるかもしれません。
なら、出版社が最初から70%を効率的に使うプラットフォームを作れよというのがBooks and the cityの言い分です。
まず、電子書籍に関する私の基本スタンスは、電子書籍だって「本」なんだから、基本的には紙の本を出した同じ出版社が率先して出すべき、というもの。特に大勢の著者を抱え、ハンパない刊行点数を手がける大手は、率先して電子版にも取り組み、印刷会社にやらせていた組版データをきちんと保管して、本を出してから契約書を送りつけるような悪習を改善し、ちゃんと著者と副次権について明確にするように、口を酸っぱくして言ってきたつもりだ。
結局ふたりの違いは70%の取り分の分配をどちらの側からアプローチするかで、結論は違っても、とにかく今はきちんとしたプラットフォームが必要だ、という点では同じなんですね。
「同床異夢」ならぬ「異床同夢」といえましょう。
まずはそこをきちんとしたビジネスとして確立することは、端末の優劣以上に重要な問題なのかもしれません。
そうすればその次にはAppleの30%の牙城を崩そうとする連中も出てきて、電子書籍がますます便利で手軽なものになるかもしれません。
それとも書籍の取次ぎのように寡占になってしまうのかな・・・