一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

健康法談義

2010-11-12 | よしなしごと

「(米国は)自国の病気を治療するために他国に無理やり薬を飲ませるべきでない」

 さすが中国人はこういう表現は上手。
日本の政治家も見習うべき。
交渉ごとで相手を説得したり周囲を味方につけるには理屈以外にもいろんな方法があるんだから。

元ネタはこちら
米FRBの金融政策、世界の景気回復損なう恐れ=中国人民銀幹部
(2010年 11月 12日 01:36 ロイター)

人民銀の国際部門ディレクター張濤氏は20カ国・地域(G20)首脳会議の会場で記者団に対し、FRBの金融政策は多くの国にとって「大きな懸念要因」になっているとし、主な準備通貨を持つ国は自国の政策が世界に及ぼす影響を考慮すべきだと指摘した。
「(米国は)自国の病気を治療するために他国に無理やり薬を飲ませるべきでない」と語った。

昔「アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひく」という表現が流行ったくらいなので「他人の風邪薬」の処方は日本では有効なのかもしれないけど。
日本も風邪をこじらせて長期療養した経験についての情報発信をもっとしてもいいように思う(アメリカでの議論のほうが盛んなようだけど)。

でも今度は自分の下痢の治療法について意見が分かれている状態ではあまりえらそうなことは言えないのかな。


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尖閣ビデオ流出問題

2010-11-11 | よしなしごと

今回の尖閣問題ビデオの流出に関して思い出した旧ソ連時代のジョーク。  

モスクワの赤の広場で「フルシチョフの馬鹿野郎」と叫んだ男が懲役15年の刑に処せられた。 
15年の内訳は、国家元首侮辱罪5年、国家機密漏洩財10年。  

たとえば 民主に国交相擁護論=海保長官には責任-ビデオ流出 (2010/11/10 21:03 時事通信)では  

羽田雄一郎参院国対委員長は記者会見で、国交相の責任論について「コメントは差し控えたい」と言及を避けたが、民主党幹部は「組織的犯罪ならともかく、一職員の不祥事だから、責任論が出てくるのはおかしい」と語った。ある若手議員は「辞める必要はない。悪い前例になる」と指摘した。 
ただ、公開が厳しく制限されていた映像が政府内から流出した事実は重い。政権への影響について、同党幹部は「映像を入手した経路と動機による」として、捜査の展開次第では政権への打撃となる可能性を否定しなかった。  

とあるが、「一職員の不祥事」とするなら、今回の職員が積極的に国家機密の厳重な管理を破った、という構図がないといけないはずで、この職員にそういう意図や特殊能力があったのでなければ、そもそも所管外の一保安官が入手可能なレベルの情報管理しかされていなかったということの方が問題。
「公開が厳しく制限されていた映像が政府内から流出した」というのは論理が逆。  
機密として明示したり管理されていなければ、情報の機密性を個々の職員が自発的に適正に判断する義務まで負わせるのは無理がある。  

これは「国民の知る権利」以前のレベルの問題だと思う。


このビデオは海上保安庁の職員の研修用にも使われていたというが、たとえば開示前の実際のM&A案件を使って社内研修をする企業がいたら阿呆だし、その結果情報が漏洩した場合に従業員だけのせいにするのはもっと阿呆だ。 
M&A情報を社内メールで流したカブコム証券も「インサイダー情報だ」と明示していたとしても内部管理が甘いと言われている(私もそう思う)。  


事後的にその情報が重要だったからといって刑事罰を科すのでは、それこそ法治国家の名折れではないか。

そのうちに菅総理と面会した人が、会談内容に言及しなくても「総理は○○だ」ということ自体にも気をつけなくてはいけなくなってしまうのだろうか (あ、それはもはや機密ではないか)


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スカイマーク

2010-11-10 | あきなひ

株価の乱高下は飛行機の乱高下よりはまだましですが。

スカイマーク株、ストップ安 超大型旅客機導入など懸念

9日の東京株式市場で、スカイマーク(東証マザーズ上場)の株価がストップ安になり、前日比150円安の793円で取引を終えた。前日、国際線参入と超大型旅客機導入を発表したが、リスクが高いとの見方が広がった。  

そもそも機体の購入資金のファイナンスができるのかという話もありますね。 
IFRSでリースは全部オンバランスになった後も投資化側の税務上の取り扱いは維持されて、個人投資家を巻き込んで節税商品として持ちまわられたりするのかな。


ところで前日はこんな話が 
スカイマーク(9204)は急反発 成田空港への国内線就航方針で収益拡大期待が再び高まる

5日の決算説明会において、成田空港に国内線を就航させる考えを明らかにしたことが手掛かり材料に。  

A380の件は適時開示されていますが(こちら)成田の国内線の件はされていません。
決算説明会での情報開示がアナリストと一般株主の情報格差を生んでいるという批判がされそうです。  
(もっとひどいと、あえて誤解を招くような発言をしたんじゃないかとか言われるかもしれません)

一連のトラブルといい、航空会社のイメージとして安心や安定性は大事だと思うのでイケイケの話だけすればいいってもんではないように思います。


ところで一時期運休の原因になったパイロット不足は、JALのリストラのおかげでJALのときの半分の給料で採用できているという話です。
ちなみにこんなレベルのようです(これがパイロットの国際的な給与水準として高いのか低いのかわかりませんが)ので興味のある方はご参考まで。

B737運航乗務員経験者(機長候補者)募集要項
スカイマーク募集要項補足資料(賃金)

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缶コーヒー

2010-11-08 | よしなしごと

僕はコーヒーは自分からはめったに飲まないので缶コーヒーはほとんど買いません。
なのでコンビニで新製品のキャンペーンで渡された缶コーヒーを久しぶりに手にとって見てふと思ったのですが、

何でコーヒーだけいまだに「缶」なんだろう?

僕以前にも疑問に思った人も多いらしく、こんなサイトがありました

缶コーヒーがずっと「缶」のままなわけは?

全国清涼飲料工業会に理由をたずねてみたところ、「コーヒー飲料は、高温・高圧での殺菌が法律で定められていて、その強度的な面から、スチール缶が多く使用されている、というのが一番の理由です」とのこと。

じゃあ、コーヒー飲料以外は高温・高圧の殺菌は必要ないのか、コーヒーってけっこう変質しやすいのか?というあたりの疑問には答えてくれてはいません。

ひょっとすると缶飲料の中でコカコーラのような化学合成の人工甘味料でない自然由来の飲料としてはじめに出てきたのがコーヒーなので、規制が厳しかったとか、それとも当初はコーヒー牛乳とか乳製品との混合が多かったので、牛乳の殺菌基準が適用されたのかもしれませんね。


もう少し突っ込んで調べると、食品安全の規制のアンバランスの問題とかにぶつかりそうな気もしますが、ぐぐった範囲ではいまひとつはっきりしなかったし、コーヒー自体も好きではないので、今日はこれまで。



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電子書籍をめぐる「異床同夢」

2010-11-07 | あきなひ

「本とマンハッタン BOOKS AND THE CITY」が そもそも電子書籍も出版社の仕事だろ、ってなで池田信夫blogへの批判をきっかけに電子書籍について語っています。  

一方で、ちょうど村上龍が文芸雑誌「群像」に連載した『歌うクジラ』を紙の書籍より前に電子化することをきっかけに電子出版に取り組む件を G2010設立の理由と経緯に書いています。

講談社は、電子書籍への深い理解がある野間副社長の英断により、紙に先行する『歌うクジラ』電子化に理解を示し、しかも制作をグリオに委託することも了解してくれました。

講談社の野間副社長が電子書籍に積極的なことはBooks and the Cityでもふれています。 (その講談社にかみついた池田センセイを切って捨てるというのがブログの本題)  

個人的に、講談社の野間副社長が電子版や海外での事業にも積極的に取り組んできたのを見てきたこともあって、彼が公に自社の本2万点をデジタル化するぞと音頭をとるような宣言をしたことも、評価している。取次や書店や、色々としがらみも多い講談社だからなおさらだ。

ただ村上龍は、電子書籍には出版社はあてにならない、と言います。

わたしは、電子書籍の制作を進めるに当たって、出版社と組むのは合理的ではないと思うようになりました。理由は大きく2つあります。1つは、多くの出版社は自社で電子化する知識と技術を持っていないということです。「出版社による電子化」のほとんどは、電子化専門会社への「外注」です。わたしのアイデアを具体化するためには、まず担当編集者と話し、仲介されて、外注先のエンジニアに伝えられるわけですが、コストが大きくなり、時間がかかります。『歌うクジラ』制作チームの機動力・スピードに比べると、はるかに非効率です。2つ目の理由は、ある出版社と組んで電子化を行うと、他社の既刊本は扱えないということでした。いちいちそれぞれの既刊本の版元出版社と協力体制を作らなければならず、時間とコストが増えるばかりです。今後、継続して電子書籍を制作していく上で、グリオと組んで会社を新しく作るしかないと判断しました。今年の9月中旬のことです。  

その理由としては、出版社の取り組みが遅れていることに原因があるようです。 

電子化のコストは、リッチ化(注:画面の編集やアニメーション・音楽の挿入)の程度で異なりますし、リーダ・ソフトウェアの進歩によって今後下がることが予想されます。G2010は、電子化のコストについて著作者に率直に伝え、協議の上、制作費のリクープ前とリクープ後に分けて売り上げ配分を決めようと思っています。前述したように『歌うクジラ』の場合、リクープ前が、村上龍:グリオ:坂本龍一=2:4:1、リクープ後は、4:2:1でした。制作費リクープ後にG2010が受け取る料率は、リッチ化のコスト・作業量に応じて、「売り上げ全体の(端末仲介料を差し引いたインカムの10%ではない)」10%から30%という数字を考えています。残りは、基本的に、すべて著作権料として著作者に配分します。

普通は雑誌に連載しても電子化の権利は留保する、では出版社は連載をOKしないはずで、今回は講談社の厚意ということなんだと思いますが、上のようなスタイルをとるようになるとそもそも雑誌に載せないぞ、となってしまうんじゃないでしょうか。
村上龍のような人気作家だからできるような感じもします。

このへんは今後雑誌などのメディアを握っている出版社と作家の綱引きになるのかもしれません。

Books and the Cityではこういっています

重ねて私が、電子書籍は出版社がやるべきと考える理由に、電子書籍版は副次権ではないという考えだから、ってのもある。またまた専門的な話になっちゃうけど、普通に考えれば同じコンテンツであれば紙の本も買って、わざわざ電子書籍版も両方買う人はいない。電子書籍版の売上げは確実に紙の本の売上げを食う。従って、映画化権だの、ドラマ化権だのといった副次権に含まれず、いわゆる「プライマリー・ライツ」に含まれると解釈するのが正しいだろう。ということは、出版社が著者と「本を出します」という合意に達したのなら、本来は電子書籍権も出版社のオプションとなっていいはずなのだ。

問題は既刊本。
これはすでに一定の評価を得ているし、電子化すれば一定の売り上げが見込めます。一方で出版社側からは、過去に投入した販促費をどう評価する、という言い分も出そうです。
これについては村上龍はこう言ってます。

8:*既刊本の版元への配分  
たとえばわたしのデビュー作である『限りなく透明に近いブルー』(76 講談社)という作品の場合、当時は出版契約書が存在していなかったということもあり、版元である講談社の許諾および売り上げ配分なしで、わたし自身がG2010で電子化することが、法的には可能なのだそうです。ただ、講談社に無断で『限りなく透明に近いブルー』を電子化して販売することには抵抗があります。  
そこでわたしは、版元に対して、電子化に際し、さまざまな「共同作業」を提案することにしました。たとえば、原稿データの提供、生原稿の確保とスキャン、写真家への連絡と交渉、さらに共著者がいる場合にはその連絡と交渉、そしてリッチ化の1部の作業、およびコストの負担などです。その上で、G2010が版元への配分率を決め、配分率は個別の作品ごとに設定します。たとえば『あの金で何が買えたか』(99 小学館)や『新13歳のハローワーク』(2010 幻冬舎)という絵本は、版元との新しい共同作業が発生しますので20から30%という高率の配分を予定しています。ただし、電子化への共同作業が発生しない場合は、配分がゼロの例もあります。  

既存の契約があいまいという問題は(それ自体は将来的にネックになりそうですが)別として池田センセイが講談社に噛み付いている著者の取り分が少ない、という点についてはBooks and the Cityではこう言っています。

「印刷・製本などの工程がなく間接費の小さい電子書籍」なんだからもっと出せるだろう、俺たちゃ最大50%出してるぜ、という言い分なんだけど、出版社が紙の本を出す場合にかかるコストのうち、印刷・製本は実はたいしたこっちゃない。拙著ではアメリカでのコスト計算を風呂桶風の大雑把な数字でこんな風に紹介している。

1.著者とエージェント(いわゆる印税)  約10%
2.出版社(編集、製本、マーケティング) 約50%
3.ディストリビューション(いわゆる取次業) 約10%
4.リテイラー(いわゆる書店) 約30%

2.の出版社の取り分のうち、印刷代・製本代にかかる費用はそのうちの20%、つまり全体の10%になる。
そして、アメリカでも基本的に新刊のEブックの印税は15%がデフォになりつつある。別にカルテルとかじゃないから。

上で言う3と4の部分は村上龍によれば  

*注:「 7:電子化のコストと基本的な売り上げ配分」と「 8:既刊本の版元への配分」における料率では、店舗側の手数料を、Appleでアプリとして販売する場合の「30%」という数字を前提にしています。

といういうことですから(appleは儲かるわけだ!という点はここでは置くとして)、これを前提とすると残り70%をどう分け合うか、が焦点になります。
村上龍としては、電子化への編集・加工とマーケティングを一番効率的な人がやるべきということで、作家側で70を握った上で貢献度に応じて版元に払うよ、といっているわけです。  

このパターンが広まると出版社はピンチかというと、考えようによっては既存の版権だけあれば社員がいなくても儲かるという知財ビジネスに特化するという選択肢もあるかもしれません。
(この場合、要するに権利が企業価値になるのでファンドがTOBかけて従業員をリストラしちゃって・・・というのが起こりそう。)  
また、このパターンはベストセラー作家とかの「強者連合」なら成り立つかもしれないけど、強者がいつまでも強者でいられるかはわからず、プラットフォームを維持するために新人を発掘していくとなると、結局自分で新たな出版社を作ることになるのと同じじゃないかということになるかもしれません。  

なら、出版社が最初から70%を効率的に使うプラットフォームを作れよというのがBooks and the cityの言い分です。   

まず、電子書籍に関する私の基本スタンスは、電子書籍だって「本」なんだから、基本的には紙の本を出した同じ出版社が率先して出すべき、というもの。特に大勢の著者を抱え、ハンパない刊行点数を手がける大手は、率先して電子版にも取り組み、印刷会社にやらせていた組版データをきちんと保管して、本を出してから契約書を送りつけるような悪習を改善し、ちゃんと著者と副次権について明確にするように、口を酸っぱくして言ってきたつもりだ。  

結局ふたりの違いは70%の取り分の分配をどちらの側からアプローチするかで、結論は違っても、とにかく今はきちんとしたプラットフォームが必要だ、という点では同じなんですね。
「同床異夢」ならぬ「異床同夢」といえましょう。 

まずはそこをきちんとしたビジネスとして確立することは、端末の優劣以上に重要な問題なのかもしれません。

そうすればその次にはAppleの30%の牙城を崩そうとする連中も出てきて、電子書籍がますます便利で手軽なものになるかもしれません。
それとも書籍の取次ぎのように寡占になってしまうのかな・・・

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芸術分野への助成金の削減

2010-11-05 | よしなしごと

この前アメリカの美術館の運営方法をかじった関係で、ニューズウィーク日本版の「ロンドン黄金期にフィナーレの予感」を読みました。  

キャメロン政権での今後4年間で各予算平均19%にのぼる公共支出の大幅カットによってイギリスの芸術部門が大打撃を受けるという話。  

もともと美術館や劇場の資金調達方法はヨーロッパとアメリカでは180度異なり、ヨーロッパではすべて国からの資金、アメリカでは民間の寄付が主流な中で、イギリスは過去15年間公的資金を「種子資本」とし民間からの寄付と組み合わせるという折衷型をとってきたものの、芸術部門への公共支出は年間7億ドルもあるそうです。 
(ちなみに2010年4月の事業仕分けに関する朝日新聞の記事によると、国立の美術館を運営する「国立美術館」と、国立の博物館を運営する「国立文化財機構」に対しては2008年度にはそれぞれ150億円と文化財機構106億円が支出されているそうです。 ざっと3分の1なのですが、多いと見るか少ないと見るか。)

さらにイギリスの美術団体はバブル間アメリカ人をスカウトし「ニューヨークやロサンゼルスで熟練の資金調達者と献金者を横取りし」て、多額の民間資金を調達していたものが、現在ではアメリカでの資金調達も激減してしまったそうです。 
種銭と民間資金がダブルで縮小してしまったので痛手はさらに大きいわけです。


ロンドンでは、この予算カットに反対する運動も起きています。  

美術館は生き残れるか  

この記事ではロンドンの事情以上にこのくだりが興味深い。  

規模や立場の異なる機関やアーティスト個々人が、一様に国の予算カットに危機感を抱き、アピール活動のために一致団結する様はある種の驚きだった。日本でも、民主党政権下での事業仕分けが美術の世界にも多少の波紋をよんだものの、「仕分け」が対象とする問題は、大勢から見れば重箱の角をつつくようなもので、業界全体を巻き込むほどの大事件にはなっていない。日英の芸術に注がれる国家予算の規模が桁違いであることを差し引いたとしても、日本の美術関係者の厭世的な振る舞いには、自戒を込めつつ、当事者意識の低さを感じざるを得ない。  

ニューズウィークによると、景気が悪くなれば芸術関係の予算が常に削減されていたわけでもないようです。  

第二次大戦後の景気低迷期には、イギリスは文字通りケインズ方式で対応した。低迷期には政府が介入して景気を刺激するべきだと提唱した経済学者のジョン・メイナード・ケインズが、公的資金を振り分ける芸術評議会を創設したのだ。

アメリカでも大恐慌下の失業者救済プロジェクトとしてWPA(Works Progress Administration)が導入されたり、1965年に個人・企業からの助成が低迷したことを受けてNEA(National Endowment for the Arts)という援助プログラムが導入されたりしています(それ自体に反対運動があったというのもアメリカらしいですが)。

日本も「国のおかげで」と卑屈になってないで、低成長化の日本にこそ文化が必要だ、とかJapan Coolに便乗するとかで堂々と増額を主張したり、寄付への減税措置を要求するくらいの気概が必要かもしれません。


ちょうど先日のChikirinの日記にこんなフレーズがありました。  

組織には「時代に翻弄される組織」と「時代を篭絡しようとする組織」のふたつがある。  

「騙された」「制度が悪い」「自分は被害者だ」って言ってればいい立場じゃないだろーと思う。


そんじゃーねー

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尾白川渓谷

2010-11-04 | うろうろ歩き
文化の日、久しぶりの晴天だったので尾白川渓谷に行ってきました。




中央道の長坂ICから北杜市に入ると、南アルプスが目の前に迫ります。




写真で見るより紅葉は進んでました。
この写真を改めてみると、人間の眼って選択的に見てるんだなと思います。それから、イメージどおりの風景を切り取るのが写真家の技術なんでしょうね。
今週末はいいかもしれません。

尾白川渓谷は滝がたくさんあり、紅葉とのコントラストを写真におさめようと、三脚と一眼レフと交換レンズを背負った人がいっぱい来ていました。




百合ヶ淵




神蛇滝(じんじゃたき)
遠くに見えるのが3段になった滝です。
紅葉とのコントラストが見事なのですが、コンデジではここまで(とカメラのせいにする)

1時間ちょっと登山道を登った甲斐があります。
かなりハードなところもあるのですが、ご年配の方も沢山いらっしゃいました。
皆さん元気。




さらに40分ほど登った先にある不動滝。
登山道もそうですが、この山奥につり橋を整備した人たちに感心してしまいます。
(構図が変なのことの言い訳も含むw)


何より今日のごちそうは抜けるような青空でした。



往復の中央道、特に行きの朝日を受けた富士山も絶景でした。


帰りに「七賢」の酒蔵の直営レストラン臺眠で遅いランチ。
鮭の麹漬けが美味。
七賢は各種利き酒ができるものの涙をのんで我慢し、土産に冷用の生酒と燗用の山廃を購入。

寄り道したおかげで帰りは少し渋滞に巻き込まれましたが、寄る価値はありました。





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