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今回フランソワ・オゾン監督の映画を観ました最近のフランス映画はどうしてもマンネリ化傾向があり、どうしてもヌーヴェルバーグ時代から前の映画に期待を持ってしまうけれど、最近はフランス映画もアクション映画が出てきたり、娯楽的な映画が出てきたね
僕が映画から離れた10年間ぐらいの間にフランス製アクション映画として、ドーベルマンやあるいは裏切りという名の犬は、なかなかアクション映画として面白かった
そして今回紹介したい映画はアクション映画ではないけれど、現在のフランス映画界を中心的人物であると言って良い、フランソワ・オゾン監督のぼくを葬(おく)るです。
実は僕は彼の映画を観るのは初めて
しかし、彼の映画で8人の女たちや、スイミングプールというような男なら興味が惹かれそうな映画の監督というのは知っていた
今まで彼の映画を何本か観ようと思えば見る機会はあったけれど、1番最初にこの映画を観るとは思わなかったね
最初の印象から暗い映画のような気がしたから
ストーリーは余命宣告を受けた人物が残りの人生をどう生きるかがテーマになっているけれど、このアイデア自体は特に新しい物ではない
日本では黒澤明が生きるですでにそのような映画を50年以上前に撮っているし、スペインのイザベル・コイシェ監督が、死ぬまでにしたい10のことでも、同じアイデアの映画を撮っている
しかし、先述した2作品は自分が死んだ後の事を考えて主人公は行動を起こし、むしろ死に対して前向きに向かいあう気持ちがでているけれど、今回紹介するぼくを葬(おく)るは、自分の死についての悲観的になってしまっている主人公が描かれている
それではストーリーを紹介しよう
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パリで一流カメラマンとして、売れっ子であるロマン(メルヴィル・プポー)は、ゲイであり、同じマンションで無職のサシャ(クリスチャン・センゲワルド)と暮らしている
しかも、この二人のベッドシーンが出てくるが、どうもホモのベッドシーンは気持ち悪いねまだレズのベッドシーンの方がだいぶ良いね
ある日、撮影中にロマン(ブボー)は倒れてしまう病院での宣告の結果は癌まだ、ロマン(ブボー)は31歳と若いこともあり、助かる可能性は低いが医者から放射線治療を勧められるが、癌の放射線治療で苦しみながら死んでいく人を見ているロマン(ブボー)は医者の申し出を断る
ロマン(ブラボー)は死ぬことを決意するしかし、そんな彼が取った行動は家族のところに寄って、子供が産まれる姉に対し暴言を吐き、そして同じアパートで住んでいるサシャ(センゲワルド)をアパートから追い出した
しかし、ロマン(ブボー)はおばあちゃんのラウラ(ジャンヌ・モロー)の所へ行き、自分は癌になっており、余命3ヶ月であることを告白する
ロマン(ブボー)は、ラウラ(モロー)にだけ自分の余命を告げるロマン(ブボー)にとって、ラウラ(モロー)だけが、本音を唯一話せる存在だった
そしてロマン(ブボー)はラウラ(モロー)の家から帰る途中に行きし立ち寄った喫茶店に、帰りも寄るがそこで思いがけないことを女の従業員であるジャニー(ヴァレリア・ブルーニー・テデスキ)から頼まれる
ジャニー(テデスキ)は夫の方が問題で子供が産めないそれで夫の代わりにロマン(ブボー)に自分の子供を産んでくれるように頼むそのことはジャニー(テデスキ)の夫も望んでいることだった
しかし、ロマン(ブボー)はその申し出を断る
ロマン(ブボー)はアパートに戻るとサシャ(センゲワルド)は荷物をまとめて既にアパートから出て行った後だった
その時ロマン(ブボー)はサシャ(センゲワルド)に対して、自分はサシャ(センゲワルド)を愛しているのに、追い出すことを迫った自分を責める
そしてロマン(ブボー)は姉に電話をして、暴言を吐いたことを許してもらい、ロマン(ブボー)は遠くから姉とその子供が遊んでいる場面をカメラのレンズにおさめる
そしてロマン(ブボー)はサシャ(センゲワルド)にも出会い、ロマン(ブボー)は彼に許しを求める。サシャ(センゲワルド)は快く応じる
そして自分の罪滅ぼしをすることによって、ロマン(ブボー)はジャニー(テデスキ)のところへ行き、子供を作ることを快諾する
そして2ヵ月後にロマン(ブボー)は妊娠したジャニー(テデスキ)とその夫と役所へ行くその時見た目に体調が悪そうに見えるロマン(ブボー)に対しジャニー(テデスキ)とその夫はロマン(ブボー)に生きる希望を捨てないよう注意する。
しかしロマン(ブボー)は、もう自分には命が無いことを知っていた彼は人で賑わうビーチに行くそこで彼はまだ小さな子供を目にしたとき、自分の子供時代の頃が走馬灯のように思い浮かぶ
そして日が暮れ、人が賑わっていたビーチもロマン(ブボー)がただ一人寝そべっているだけだった(死んでしまったのかな)
余命を宣告されると人間は自暴自棄になり、一人だけになろうとしたがるのかな 恐らくロマン(ブボー)も最初はそんな気持ちだったのだろう
しかし、家族から自らの手で離れていき、そして恋人も自ら離れさせる恐らくこれはロマン(ブボー)の死に際の整理をしたつもりだったのだろう
しかし、おばあちゃんのラウラ(モロー)に自分の気持ちを話すことによって、彼自身の死に際が間違っていたことに気付いたのかな
彼は姉と仲直りし、産まれて来た赤ん坊と姉の写真を撮る事により、自分の生きてきた証を残し、そして人間の生きている姿にカメラのレンズを通して感動したのだと思う
そして姉が自分の子供と楽しんでいる姿を見て、彼は子供を欲しがっているジャニー(テデスキ)に姉の姿をダブらせた結果、ジャニー(テデスキ)との性行為に及び、生きていくこと、そして新しい命の誕生を願ったのだろう
そしてラストシーンでのロマン(ブボー)の死を暗示させる最後は一人ぼっちになり、夕日が沈んでいくが・・・それは今1人の人間が死ぬ時、また新たな生命の誕生を告げることのように感じる
しかし、ラストシーンはかなりやりきれない終わり方だったけれど、少しは希望の持てる映画に終わって良かった
それにしても、フランスという国はホモに対して寛容な国だねこの映画でもロマン(ブボー)が、自分の病気を最初はエイズだと思って平気に医者に聞くし、またロマン(ブボー)のおばあちゃん、お父さん、お母さんも息子がホモであることに対して、不快感は無さそう
しかし、ホモ同士のベッドシーンまで見せることは無かったね
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