ミステリー小説の女王であるアガサ・クリスティ女史の代表的作品でもある推理小説の同名タイトルを原作とする映画化作品が今回紹介するそして誰もいなくなった。
たくさんの友人が周りに居たのに、いつの間にか一人ぼっちになってしまった俺のことを言われているような嫌味なタイトル名だが、小説版とは少し違うために展開、登場人物のキャラ、そして結末も違うので原作を読んだ人でも見終わった後は新鮮な気分になれる。
そして、監督のルネ・クレールらしいライトコメディなタッチが効いていて、たくさんの死人が出てくる割に悲惨な印象が全くない。それに冒頭からの登場人物達の紹介の方法がなかなか楽しい。
それでは有名なストーリーを出来るだけ簡単に紹介を
遠く離れた孤島に8人の男女が荒波の中を頼りない船に乗せられてやってくる。孤島の豪邸には予めお手伝いさんとしてやってきたロジャース夫妻の2人が既に到着していたのだが、肝心の招待者であるオーエン氏は不在だった。
しかも、集められた10人はロジャース夫妻を除いて皆が初顔合わせ。しかも、その中には誰も招待者であるオーエン氏を見た者はなく、全員がオーエン氏から手紙で招待された者ばかりだった。
そんな中でロジャースがレコードをかけると、それは音楽ではなく集められた10人の罪状が告発された内容だった。全員がその罪状を否定するのだが、1人が毒入りの水を飲んで死んでしまったことを切っ掛けに更に1人、また1人と殺される。
死んでしまった者以外に、今生きている者の中に殺人者が居る事は明らか。最後に生き残った者がオーエンを演じていた者だという結果になるはずだと思われたのだが・・・
置物のインディアン10体が、1人死ぬごとに1体壊される。観ている人が『今何人殺されたんだったっけ?』と悩まないための親切な設計。それに誰がインディアンを壊しているのかわからないのが不気味な雰囲気を煽る。
そして登場人物が10体のインディアンを見て、歌う音楽がブラックジョーク。その音楽の通りに1人ずつ死んでいくストーリー展開は今ではそれほど珍しくはないが、このようなストーリー展開を思いついたアガサ・クリスティは、やっぱり凄いと思わせる。
しかし、この映画は笑えるようなシーンもある。疑心暗鬼になっている各人の部屋から鍵穴を覗いて隣の部屋の人物を覗いているシーンや、名優バリー・フィッツジェラルド、ウォルター・ヒューストンといったベテラン達の演技が飄々とした面白さを感じさせる。
個人的にはサスペンスというよりも、次は誰が死ぬのか?ということをメインに楽しんだのだが、オーエン氏になりすましているのは誰か?何のために10人が集められた?実はオーエン氏は孤島のどこかで隠れているんじゃないかと考えたり、色々と楽しめるための要素がたくさんある。
そして、結末が訪れた時にまだ残っているじゃん!なんて思っていると、最後のオチで確かに誰もいなくなったわ!と俺は感心した。
アガサ・クリスティと聞いて心が躍るミステリーファンの人、ミステリー小説において原作と映画と見比べるのが好きな人、最近のハイテクノロジーを活かした犯罪映画よりも手作り風の犯罪映画が観たい人・・・等に今回は映画そして誰もいなくなったをお勧めに挙げておこう。
監督はフランス人で1930年代のフランス映画黄金期を支えたルネ・クレール。ナチスの脅威にフランスを逃れてハリウッドで映画を撮るようになったのが本作。ハリウッド時代のお勧め作品として後にテレビシリーズでも人気の奥様は魔女が面白い。
フランス時代では、あのチャップリンにも影響を与えた自由を我らに、トーキー初期を感じさせ音楽が印象的な巴里の屋根の下、そして不器用な男とお花売りの娘の恋愛を描いた巴里祭が良いです。
たくさんの友人が周りに居たのに、いつの間にか一人ぼっちになってしまった俺のことを言われているような嫌味なタイトル名だが、小説版とは少し違うために展開、登場人物のキャラ、そして結末も違うので原作を読んだ人でも見終わった後は新鮮な気分になれる。
そして、監督のルネ・クレールらしいライトコメディなタッチが効いていて、たくさんの死人が出てくる割に悲惨な印象が全くない。それに冒頭からの登場人物達の紹介の方法がなかなか楽しい。
それでは有名なストーリーを出来るだけ簡単に紹介を
遠く離れた孤島に8人の男女が荒波の中を頼りない船に乗せられてやってくる。孤島の豪邸には予めお手伝いさんとしてやってきたロジャース夫妻の2人が既に到着していたのだが、肝心の招待者であるオーエン氏は不在だった。
しかも、集められた10人はロジャース夫妻を除いて皆が初顔合わせ。しかも、その中には誰も招待者であるオーエン氏を見た者はなく、全員がオーエン氏から手紙で招待された者ばかりだった。
そんな中でロジャースがレコードをかけると、それは音楽ではなく集められた10人の罪状が告発された内容だった。全員がその罪状を否定するのだが、1人が毒入りの水を飲んで死んでしまったことを切っ掛けに更に1人、また1人と殺される。
死んでしまった者以外に、今生きている者の中に殺人者が居る事は明らか。最後に生き残った者がオーエンを演じていた者だという結果になるはずだと思われたのだが・・・
置物のインディアン10体が、1人死ぬごとに1体壊される。観ている人が『今何人殺されたんだったっけ?』と悩まないための親切な設計。それに誰がインディアンを壊しているのかわからないのが不気味な雰囲気を煽る。
そして登場人物が10体のインディアンを見て、歌う音楽がブラックジョーク。その音楽の通りに1人ずつ死んでいくストーリー展開は今ではそれほど珍しくはないが、このようなストーリー展開を思いついたアガサ・クリスティは、やっぱり凄いと思わせる。
しかし、この映画は笑えるようなシーンもある。疑心暗鬼になっている各人の部屋から鍵穴を覗いて隣の部屋の人物を覗いているシーンや、名優バリー・フィッツジェラルド、ウォルター・ヒューストンといったベテラン達の演技が飄々とした面白さを感じさせる。
個人的にはサスペンスというよりも、次は誰が死ぬのか?ということをメインに楽しんだのだが、オーエン氏になりすましているのは誰か?何のために10人が集められた?実はオーエン氏は孤島のどこかで隠れているんじゃないかと考えたり、色々と楽しめるための要素がたくさんある。
そして、結末が訪れた時にまだ残っているじゃん!なんて思っていると、最後のオチで確かに誰もいなくなったわ!と俺は感心した。
アガサ・クリスティと聞いて心が躍るミステリーファンの人、ミステリー小説において原作と映画と見比べるのが好きな人、最近のハイテクノロジーを活かした犯罪映画よりも手作り風の犯罪映画が観たい人・・・等に今回は映画そして誰もいなくなったをお勧めに挙げておこう。
そして誰もいなくなった CCP-147 [DVD] | |
バリー・フィッツジェラルド,ウォルター・ヒューストン | |
株式会社コスミック出版 |
監督はフランス人で1930年代のフランス映画黄金期を支えたルネ・クレール。ナチスの脅威にフランスを逃れてハリウッドで映画を撮るようになったのが本作。ハリウッド時代のお勧め作品として後にテレビシリーズでも人気の奥様は魔女が面白い。
フランス時代では、あのチャップリンにも影響を与えた自由を我らに、トーキー初期を感じさせ音楽が印象的な巴里の屋根の下、そして不器用な男とお花売りの娘の恋愛を描いた巴里祭が良いです。
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