そろそろだなぁ。と、枇杷葉を見上げれば、葉の混みあった枝の場所が、硬い苞を破っている。白い花弁が覗く。芳香もしている。新暦では下旬、旧暦では神無月の中旬頃に咲き始める。毎年ごとに、余り狂うこともなく咲く。自然とは宇宙の基本である。
全国の神さまが、居なくなる月なので、神無月と言うが、島根県だけは、神在月と言われる。何しろ、そこに約浦々神々が集まるからで、出雲地方は賑やかになると伝えられる。八雲立つ、と言われた地方に、なぜ神々が集まるのだろう。
歴史的な見解は避け、個人的な考えで言えば、朝鮮半島の百済・新羅・高句麗といった国の成り立ちが、日本民族への影響を左右し、古来先住民としていた沖縄の人々、北海道のアイヌの一族への追放にあったのではないか。
戦争・討伐とは名を借りた侵略で、自分達の政権争いに、其処に居た人々が邪魔になった気がしないでもない。平和で安全な、戦うことを嫌っていた者には、敵愾心もなく、友好的な試みを持っていたように思える。卑怯かつ残酷な手段を使った。
その頃から、強い者が生きていくために、虐げられ、意志の尊重などなく、殺戮が行われてきた。今は、民主主義の世の中で、そういった傍若無人はできないが、闇でのことはわからない。法律で守られているとはいえ、その網を潜ることもある。
下痢もなく、熱も下がったのに、仕事に行けない。理由は、〇の検査ができないからだ。仕方なく再度上司に連絡を入れ、受診する。今日は、若いDrである。事情を説明すると、何か食べましたか。と、聞かれる。あっ、牛乳をコップに1杯飲みました。
日頃、便秘気味なので、休みとて体調維持のためと、1杯飲んだのだ。ところが折悪しく、夕方からの上映会。腹の痛みに、トイレに駆け込んだのが拙かった。でも、我慢できる状態でもないし。唯、帰宅した時点で、熱が出たり、体のだるさも伴っていたのよ。
やれやれ。すっかりのんびりとしてしまった。家に居られるのはいいが、外出を制限されると、図書館にも行けない。ひたすら試験勉強のみである。何れにせよ、病院には余程のことがない限り、行くものか。と思うのであった。教訓である。
冬になって尚、咲き続けるセージ。枇杷葉の緑と、セージの赤が対照的で鮮やか。晩秋のセージです。