枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

洗濯日和・・・

2012年11月07日 | Weblog

 目覚めると、太陽が昇り、晴天である。カーテンを開けるのももどかしく、布団を干す。洗濯機も回す。その後、枇杷葉の様子を見て、花芽を確かめた。白枇杷の苞がたくさん見える。此処にもあそこにも、其処にもという具合だ。感無量とはこのことか。

 木枯らしが吹き始めると、庭が散らかるので、今の内に片付ける。ゴミで出す物と、堆肥にするのとを分ける。枯れたのでないと嵩張る。フェンスに積み上げて乾かす。じっとしていれば暑いくらいで、室温は17℃。ブラウスの繕いがあったのを、日溜りで修繕す。

 空気と太陽とで、ほかほかになった布団を仕舞う。その後、青空市に行き、本屋に寄り、愛車のエネルギーを補充して帰宅。渡辺和子さんの文庫を買ったので、眼を通ていく。読みながら、とてもこのような、立派な行いはできない事に気づく。

 同時に、自分なりの努力はしよう。と思う。何が、どうと云うのではなく、当たり前のことができないから、その自分にも腹が立つ。生かされていることの、なんという贅沢であろうか。死を恐れぬ気持ちは微塵もなく、その行先が怖くてならない。

 だが、自然とは何と雄大で当たり前に、其処に居るのだろう。枇杷葉は、枇杷葉としての誇りや謙虚さを持っている訳ではなく、存在しているだけだ。主張もせず、卑下もしないで、何時も其処にある。人間は、勝手な時にだけ使うが、怒るでもなく優しさに満ちている。

 お釈迦さまの教えには、到達できることではないが、感謝する心だけは失いたくない。何時も愚痴ばかり口から出るが、なるべく少なくするよう、努力をしよう。仕事も、他人の気づかないことに労を惜しむまい。風邪を引かぬよう、嗽・手洗いです。

 赤鉈豆の花。とても可憐な花です。白鉈豆は、花色が白いのです。鞘が20cm位が食べ頃で、素揚げになり、湯がけば寿しの上に張れます。刻んで、他の野菜と混ぜ、かき揚げにも。

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