冬であるが、夏の大三角を西に観る。東には、木星がある。南に向いて、月が渡っていく。北半球だけであるが星々の輝きの美しさだ。この美しい宇宙を、一体何人の人々が眺めているのだろう。大半は、寒いと部屋から出ることなどないような気がする。
古人は、宇宙を見遣り、風の向きを、温度や湿度を思い、明日の農耕へと励んできた。今は、手を汚さずに、行おうとする。農薬浸けの野菜も、作物もいらない。放射線も必要ない。安心で安全な食べ物を、今こそ作らなければ。人間の破壊である。
高齢者の人格の破壊が起きるのも、昨今の手軽な食べ物によるのではないのか。そこには、防腐剤も、添加物も、着色料も、付加しなければ、超時期持たないし、大量には作れない。家畜を飼っていた時には、残り物は平らげてくれた。
現在は、ゴミである。捨てないで、腐らせないで食べ切ることが、少なくなった。犬や猫でさえ、贅沢な餌になった。神さまは、人類を驕らせ、傲慢にして、破滅への道に誘っているのだろうか。原発の行方には、未来はない気がする。
栄養を摂り過ぎては、肥満になるし、病気にもなる。清貧の暮らしで、一日が生きられればいい。生きることこそ、最大の贅沢ではないか。人間の欲望には限度がなくなり、お金さえ出せば、何でも買える。だが真実も、真心も、買えるのだろうか。
介護の資格はなくても、看取ることは当たり前であった。否応無しに嫁の立場がさせた。どんなに尽くしても、金銭的には何もなく、文句だけを言われた。昭和の時代までは、耐えることで生きてきた。ビジネスと言うが、罪悪感が片隅に残る。
昨年の開花状態。咲いた後、枝が枯れた。今年は、半分くらいが蕾をつけている。