できないことや、したくないことを言い訳に、忙しいと逃げる。誰にだって苦手なことはある。けれども、その代価をもらっているのだから、考えを変えたり、工夫したりで可能になることもありはしないだろうか。そういった努力をしもしないで、忙しいとは言いたくない。
親に対して、洗濯した清潔な衣類を着せ、贅沢はしなくても、心の籠もった膳を並べ、思いやりのある会話ができればいい。これに加え、整頓された、清潔な空間を用意できれば、何も言うことはない。掃除は毎日でなくてもいいが、一日措きくらいでできればいい。
埃塗れの、何が何処にあるのかわからない散乱、乱雑ぶりの場所には、病気の元が一杯だ。脚気にも、結膜炎にも、喘息や疥癬にもなる。全身に発赤や発疹、掻き傷だらけでは、気分までも鬱になってしまう。薬もいいが、ドクダミ茶で症状が治まり、改善された。
自然の力には、説明できないが得るものがあり、それらが遇い極まって、治療にあたる。免疫力も抗体も、全力で応対して、治癒能力を発揮するのだ。痒みは嘘のように消え、痕跡は軽減されていく。尤も、そのタイミングも、自分で判断してやらないと失敗する。
孫の誕生日会で集合。お決まりの手巻き寿しをして、にぎやかに食べる。初夏に蒔いておいた大豆が、実をつけて膨らんでいるのを収穫。思いの他生っていて、しかも枝ぶりもいい。早速に塩を入れて湯がく。熱々を食べさせる。嫁には手伝わせ、鞘ごと持たせる。
たった1粒の大豆から、これ程の枝豆が取れようとは。フェンスの外のは、どっしり実がある。びっくりした。根槐菌の力よ、恐るべし。来年も植えよう。草が生えるよりいいし、手入れも何もいらないで収穫できる。加えて土が変わるのだ。土の威力も素晴しいもの。
山女を植えていると、根切り虫がいなくなる、と書かれていたが、芋虫にも困っている。鉢の中には住み心地がいい、とばかりに増えるのだ。棲みかを決めるのは奴等だし、居住権を奪えるのか。ちょっと心が痛む。でも、花は植えたいし、咲かせたいのだ。
初夏、忘れないで咲く花の1つ。名まえは何だったっけ?青い花が、基本的には好み。其処に、白や赤がある。花の彩りがいいなぁ。