枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

奇跡の手あて・・・

2013年10月12日 | Weblog

 イエスは、足萎えに杖を触れ、立てと云われた。足萎えは、その言葉通り、立ち歩いた。聖書の中にある一節だ。自分に、その力があることは知っていた。だが、人間の心の中には、邪悪な物もあって、信じることができない。況してや、唯の者には。

 風呂場で足を擦り、暫く経って、様子を見ていたら、足がすっと出ているのに、びっくりする。杖は形だけで歩けているのだ。脈拍も正常値、体温も変わらずだが、今まで氷のようになっていた両手が、ぽっと温かくなっていた。膝も気持ちがいいらしい。

 肩に手を置くと、直ぐさまに温もってきた。この方の純粋さが反応したものか。医者にも見離されて、どんな薬も効かずにいたのが嘘のようだ。と感激される。神さまのよう・・・と言葉を詰らせる。いえいえ、当たり前のことをしただけ。偶然、通じたのだ。

 奇跡が起きたとしか想えない。Aさんの時にも、手あてを始めると、体全体が温かくなってきて、血流が良くなり、疲労回復が著しかった。尤も、渾身の力を注いだのは、云うに及ばず。今回はそうではないが、私の力と相手の力とが惹きあったらしい。

 我が家は、とても不思議な空間、という証だ。リエさんの時にも、視えた。信じる・信じないはその人の自由だが、此処の結界は宇宙と通じている、との想いを強くした。それも、枇杷葉での守りが大きい。視えることの不思議さと、パワーに感謝する。

 折りしも、上弦の月が懸かり、金星の輝きが眩しい。この力を戒めながら、必要とする人には使ってあげよう。あの笑顔、感謝の眼差しには、清らかな心しかなかった。そういった生き様が、こちらへと振り向いてくれたのだ。今後も、努力を惜しむまい。

 地球のあちこちにも、パワースポットはあるだろう。でも、幸せの青い鳥がすぐ傍に居たように、自分にしか効かない場所もある筈。そういった特殊な場所は、誰にでも与えられるものではない。私に害を及ぼそうとすれば、何故か手酷い目に遭う。

 然し、自分の努力や精進を怠ったりすると、パワーは消滅する。殊に、枇杷葉の勢いが落ちてしまう。与えながら、援けてもらうようにも想う。日々、是感謝して暮している。祖母や、父母への墓参りも忘れまい。無心になることも必要ではあるのだ。

 初夏の薔薇。薄桃の淡い色が綺麗な薔薇。我が家で咲く薔薇は、農薬をかけないので、ジャムにできる。花弁が散る毎に、想うばかり。

コメント
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