枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

十三夜・曇り空

2013年10月17日 | Weblog

 戦闘機が、日本の上空を飛べば、莫大なお金が貰える。その出資元は、一体何処なの?戦闘機に隠したレーダーで、裸同然になった国民、一人ひとりの情報が、アメリカの秘密機関に保管される。あらゆることの細部まで、筒抜けであろう。

 歯医者に通っているが、月々の治療費も莫迦にならない。小遣いがそっちに消える。今月は、何処にも行けない。よくしたもので、家ですることが増えている。庭の木の剪定や片付け、球根の植え付け。秋ではあるが、春への準備をしておく。

 認知症事故と損害賠償。という記事が、某新聞に載った。行動を一瞬も眼を離さずに監視(見守り)することなど不可能である。例え、認知症でも、監視は違う。況して親であり、生きている者へは、見守りであろう。或いは、寄り添いであろう。

 犯罪者に対しては、逃げ出さないかと係員が、見ていることを監視という。認知症になったら、犯罪者扱いをされなければならないの?片時も眼を離さず、瞬きもできないような、息の詰る介護はできない。親を家で看取るのは、児の務めだ。

 昨今の事情では、その90%が病院での看取りである。点滴や吸引機、呼吸器をつけて、人間の姿からは遠い。児や孫も居ず、独り淋しく命を終えるのだ。どれほど家に帰りたいか。肉体を離れ、魂は彷徨い続ける。お金だけでは成仏できない。

 葬式の仕方も様変わりした。家での供養ではなく、きれいに整った場所での葬儀だ。故人を偲ぶなど、何処にいったものやら。尤も、子ども等は同居でなく、遠く離れた所での生活をしている。古里は消えてしまい、人の姿も見えない有様である。

 認知症には、地域の人々の関わりが重要で、声かけや見守り、寄り添いが必要である。認知症への正しい知識と理解は、その人間性を傷つけることなく、接することが出来る。新しいことを認識できないだけで、相手は人間で、宇宙人でもない。

 介護者の意識の違いから、ちょっとした言葉の使い方が、気になってしまう。見下した物言いには、介護をする資格がない。相手の人格を尊重し、不可解な言動への理解と、其処に至る原因を知り、共に歩んで行きたい。100人の百色がある。

 剪定の枝を決めて伐っていかないと、花芽が付かない。毎年、1枝づつ伐るようにした。それでも、枇杷葉の生命力に驚く。 

コメント
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