三重苦のヘレン・ケラーが、ハーバード大学まで行き、世界中の人々に、奇跡の人と云われるには、アニー・サリバン教師の不屈の精神が支えていたからだ。生きてさえいればいい、と言う考えは哀れみだけです。そういい切ったサリバン教師。人間としての生き方を!
この世の全ての物には、名前があること。目が見えなくても、耳が聴こえなくても、学ぶことはできるのよ。哀しみや苦しみもあるが、それよりも歓びの大きさを教えたい。何時如何なる時に於いてさえ、人としての幸せを教えたいと願うが、行先は暗澹たる想いであった。
介護の仕事も、普通に人としての生活を送ってもらいたい。食事をし、風呂に入ったり、のんびりと寛いだり、居場所のある暮らしをしてもらいたい。決して、ご機嫌を取ったり、虐待をすることでもない。極当たり前の一日を過ごしてもらいたいのだ。安心と安全の中で。
主演女優が素晴しいのは云うまでもない。ヘレンそのものを演じた、パティ・デュークは、後にサリバンをも演じている。DVDを、迷いの気持ちになった時に観る。アルジャーノに花束では、チャーリーの素朴さに惹かれる。原作に忠実ではないが、心理描写が上手い。
りぼんの付録であり、水野英子氏が描いていた。これが驚異的なものだったので、鮮明に覚えている。サリバン教師も、ヘレン・ケラーも亡くなって久しい。奇跡の人と全世界が湧き上がる中、日本にも何度か訪れている。諦めてはならない。学ぶ方法はあるのよ。
五体満足であろうと、障害を持っていようと、本人や周りの者の考え方や環境・境遇で、生き方に差が出て来るものなのだ。自分の置かれている立場を、認識していながら、どうすれば知識を増やし、勉学していけるかを常に考えていたいもの。希望は捨てない。
書籍の素晴しさは、云うまでにないが、一日24時間をどう使おうと自由だ。同じ時間を共有するなら、使い方を工夫して、努力できる自分でありたい。学校に行っているだけが、学びではない。様々な事柄の、幅広い視野を持ち続ける事も、とても大切な心だ。
我が家の晩夏。爽やかな風の通る、清らかな庭でもある。そこら中に枇杷葉の繁れる空間である。百日紅と白枇杷。