月と木星と、昴の共演。夕暮れの宇宙より浮かぶ来る、月の冴えに並ぶ木星、燻し銀のように輝く昴。冬の名残を押し留めた、その瞬きに暫し見惚れる。この自然の賜物を、地上にて観られる幸せを感謝する。生きていることのありがたさを祈る。
枇杷葉の花芽を見ると、なんとなしに心細い。先日の雪で、打撃を受けた花芽が、無事であるかも心配だ。甘やかな香りが、時折漂う。それまでは青々としていた、フリージアの茎が、雪焼けしたのも手落ちだ。寒さに弱い花木に、申し訳なく思う。
孫の書いた文が、地元紙に載った。拙宅は価格の割には、記事が少なく購読していない。そのため、同僚が職場に持って来ていたのを拝借した。夢は大きく、願えば叶うが、努力しなければ夢に終わる。日々の勉強と、知識欲を達成できるのか。
困難な時にもめげず、苦しくても諦めず、発想の転換と努力を怠らないこと。言葉で書けば簡単に思えることも、いざ励もうとすると、立ち塞がる壁はでかい。古人の工夫と発明には及ばなくても、視野、着眼点の違いが、成功への一歩へと繋がる。
大工の棟梁は、どうやって家を建てていたのか?近代なってこそ、便利な機械が組み立てるものだが、最初に思いついた人に歓心する。何事も、最初が肝心な例え。今を昔と言うが、コンピュータの弾き出す数値ではなく、自分の感と腕だけである。
算盤。これは、電池が要らない。便利物だが、意外と難しい。この算盤、実は枇杷で出来ているのだ。木枠がそれで、昔は球が種であったらしい。尤も、虫に食われる消耗品で、壊れるのも早かった。その加工の工程は知らないが、今でもあるのか。
夕飯のおかずに、鰯のつみれを入れた。味噌仕立てで、実に旨い。肉は、1年を通じて数回、体が欲する時に戴く。そのかわり、100gが数千円であろうが、食べたければ買う。普段は節約し倹約で過ごしているから、思い切りもいい。美味しく満腹。
人間は、年齢を重ねると、否応なしに悪い箇所が見つかる。当たり前のことで、差し障りが出て来ることも亦、当たり前のこと。日本人は、古来麦や豆を大量に摂っていた。味噌や醤油がそれ。腹持ちがいいからと、餅を搗いていたのも同じ。保存もした。
戦後の日本人は、アメリカから入ってくる物品に眼晦ましをされた。ケチャップ、マヨネーズ、ソース等、豆からかけ離れた生活になった。何より、食事を作らなくなった。惣菜でも、買いに行く。手間隙が惜しい。働くことで収入を得て、多忙にもなった。
まあそれは言い逃れ。作る人は変わらない。健康を損なわず、生き生きと暮す人も多い。自分で納得して、質素な生活を選ぶこともあるのだ。だが、自給自足は困難になった。物々交換できない。生活自体が多様化した。贅沢さに慣れ切ったのだ。
夏の終りだが、ベゴニアの衰えもなく、健気にも咲く姿に、思わず見惚れた。人間の心を癒し慰める。