駐車場から勤務先までの途中に、紅梅がある。今朝、蕾が綻んでいるのが、眼に留まった。まるで、小さな炎のようで、春や春梅一輪の暖かさの句が浮かぶ。胸の中に明かりが灯ったようで、足取りが軽くなった。何となく弾む心に、背筋が伸びた。
テレビは、昨夜のフィギアを映している。氷の滑る上での演技で、あれだけ華麗に舞えるもの。得点などどうでもいい気がするが、そこはオリンピック。優劣をつけること、タイムの更新での評価になる。曲を選び、衣装を決め、競い合う競技でもある。
どの種目も、精神的な面と、体力の激しさにびっくりする。それらを4年に1回、然も数時間、或いは数分で決めるのだ。物凄いことだと感心する。人間が極限状態での、可能なエネルギーの放出なのか。神秘的な美しさに、眼を瞠る思いがする。
不可能を可能に変え、跳躍する姿には圧倒される。誰でもができないことだからこそ、称えられるのだ。その不屈の精神に、諦めない闘志に、拍手を贈りたい。人間は援けあっていかねば、困難に向えないが、謙虚な心と、自分を知ることでもある。
明日は、裁縫をして、菜の花寿しを作らねば。孫の迎えもある。来月が過ぎれば、消費税が上がる。軽四の税金も高くなる。国民に皺寄せをして、涼しい顔で国債を発行し、赤字を増やしていく。東京オリンピックで、またぞろ借金を増やす。絶句!
裏の住人は、この時間になると子どもを泣かせる。虐待であろう。小さな児を風呂に入れるのには、時間が遅い。泣き叫ぶ声に頭痛がする。泣くのがわかっているのに、毎晩である。隣近所の迷惑は甚だしいものがある。警察に通報したがいいか。
帰宅途上の宇宙には、冬の大三角と木星が冴え、昴の輝きがあり、携帯で撮影した。こんな素晴しい夕刻を、誰も見上げていないのも、不可解なこと。自分の想いようで、心は豊かになり、知識は増えるもの。ありがたいこと、感謝の念を忘れまい。
玄関の入口、向って右側の斜面に植えてある、隅田の花火。秋口に咲く方が、色が澄んでいる。梅雨時のは、ちょっとセクシー。