昨日とは、打って変わった晴天。太陽にあてられた屋根の雪が、地響きと共に滑り落ちる。今朝方の雪景色は何処へやら、道路の上には何もない。むき出しのアスファルトに変わっていった。それにしても、降りもふったり。雪の重みに、動けませんでした。
左馬。これは、動物の本能らしい。競技場のトラックが、短距離も長距離も。同じく走るのに、左に回ろうとすることは、人間の習性所以。車での左折と同様に、自然なことらしい。右折する場合には、注意力が集中しきれず、事故になる可能性が大きい。
人間の本能が、左に曲がれ。右には行くな、という警告を発する。猿の母親が、小猿を抱えるのは、左手であっても、右手には決してしないのだ。人間より、猿の方が偉いと思う時でもある。この行動には真心が籠もっている。何故か、おわかりだろうか。
母乳が何故、大事な行為かご存知だろうか。実際に、のんで育ったが、覚えてはいない。母乳の成分の分析ではない。母乳を飲ませていることで、親にもなれ、愛情が育まれるが、夏と冬では、その濃さが違うそうだ。自然の摂理に適っているのに驚く。
してみると、高齢者の方々には、取るに足らない微々たることかもしれないが、その強みは母乳で育っているということ。これに近いのが山羊乳。牛乳には、母乳とかけ離れたものしかない。牛乳が好きになれない者の戯言。脱脂粉乳よりはいいようだが。
介護の疑問点を常々思い、解決するには膨大な資料を読まねばならない。専門的なことを除けておいて云えば、核家族に切り離された時点で、捻じ曲がってしまった。子どもが親を看るのは当然の行為であり、自分の命を貴び、大切にすることの基本。
世の中、全てが金だ。自分以外の者には、金銭の度合いで順列がつく。汚いことや重労働は避けていく。弱者の切捨てはあからさまにはしないが、していることは同じ事。人間が本来の姿に還るためには、何が必要なことだろうか。病は気からとも云う。
かかりつけの医者を持っておくことは大切なこと。いざと言う時には、強い味方でもある。然し医者嫌いには、不安が湧く。したいようにして、食べたい物を戴き、この世に産まれた使命を果たし、潔く決別できれば、それに超したことはない。天命を知ることか。
夏の夕暮れ時。何とも爽やかに暮れる宇宙に、輝く恒星。一日の名残を想うのも、一瞬のことだが。