昨夜、三国志を読んでいて、早くは起きられなかったが、巻き寿しを作らねばならない。布団から手を伸ばすと、思いなしか冷たい。寒さに怯んで暫くして起きる。ご飯を仕掛けて着替え、具を切ったり、湯がいたり、焼いたりしていたら昼になった。
友人が訪れて、海苔を持参してくれたのを、テーブルに出して巻く。何とか11本巻き、友人に渡す。我が家のも、娘等のも合わせて出来上がる。具には、菜の花も入れた。夕方には、嫁が取りに来るし、娘等は食べに来る。持ってまでは行かない。
Aさん家に、水を分けてもらいに行く。ばら寿しがあるから、と皿に盛ってくれた。お茶が冷たいのが難。おでんも美味しかった。昨日までが大寒なので、水は貴重な時期。大石内蔵助が、師走の十四日に決めて、討ち入りを果たしたかが解かる思い。
赤穂は、塩作りが盛んで、財政もそういったことで遣り繰りし、藩の暮らしを立ててもいた。1年中を通じて、塩田で働くということは、過酷なことであったに違いない。人間の勝手でなくして、潮の満干潮と流れが、大きく関わっていることも否めない。
これは、吉良家では解かる筈のない道理でもあった。海の水を汲んで、撒けばいいというものではない。コツというかタイミング、気持ちの有様で変化が生じ、出来上がりが異なってこよう。何処の藩でも作ることが出来れば、塩の価格は下がるのだ。
何事もだが、丹精籠めれば、物云わぬ相手でも、通じ合う何かがあると信じる。現代では、簡単で便利な機械に頼るが、使いこなせば魂も宿る筈。自然界の不思議な力には先ず、潜んであると信じたい。奇跡が起きると言うが、必然的なことかも。
明日は、勤務先の人間ドッグに行く。気持ちとしては、行ったにしても、データばかりを見て、患者を診ようとしないのに落胆する。年齢と供に数値は変化するかも知れぬが、業務が軽減する訳でなし、生身でもあり、故障しても取り替えは為らず。
北側に位置する、台所の窓に置いている、折鶴ラン。ランナーでどんどん増えていく。株分けもしている。