枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

肩凝りと歯痛の因果関係・・・

2015年02月13日 | Weblog

 歯が痛くなるから、肩が凝るのか、その反対なのかは定かではないが、治療するほどにリンパ腺も腫れが引き、肩凝りも軽くなった。歯科医は断じて、歯痛からではないと言うが、原因を考えるに、それしか思い当らない。今後は辛抱しない。

 疲労困憊を訴えても、業務が軽くなる訳でもない。動かないで、給料がもらえるのが一番好いが、それでは介護の仕事とは言えない。トイレ介助が主な業務であり、辺り一面悲惨な状況になっても、黙々と掃除するなら、放ったらかしでも・・・。

 然し、それでは本人が気の毒である。失敗しようとしたのでもなく、出来なくなったことがわからなくなり、途方に暮れる。事態を更に悪化させることに陥る。認知症の始まりは、汚染した下着を隠すことからで、見つからないよう、奥の方に仕舞う。

 家族にしても、近所の人に限らず、異変を感じるのは、身近な存在だ。余分な干渉は避けねばならないが、何処と無く察知できることがある。それが小さなことであろうと、手立てはある。見てみぬ振りをしないで、見守りと声かけができれば。

 人は、年老いていくものだ。物忘れや、些細な日常が送れなくなり、食事や排泄ができなくなる。通信の手立ても、耳が不自由だと聴こえない。眼も薄くなる。金銭的なこともあろうが、誰かに頼ることも危なっかしい世の中で、生きることは難だ。

 ペコロスの玉手箱を見て、親の人生を看取ることができる幸せと思うか、否かは何だろう。個人的には、看取れなかったことが悔やまれる。然し、生きている時に、精一杯の感謝と、逢いに行けたことが心に残っているので、そのことには満足だ。

 自分の時には、独りで逝きたい。葬式はいらないし、骨は海に撒いてほしい。本来は、古里の土に還りたいもの。火葬でなく土葬で埋めてくれないか、と思う。遺言書にきちんと書いておくかな。産んでもらったことを感謝し、自然に還りたいもの。

 初秋の枇杷葉。そろそろ焼酎に漬けられるので、硬くてごわごわした生葉を採った。アルコール度は、35℃にする。

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