枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

立春、望・大潮

2015年02月04日 | Weblog

 立春 立春は、冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち始める、と言う意味で、立春と言われる。毎年、二月四日頃である。二十四節気とは、地球から観て、太陽の通る黄道を、二十四等分したのが、二十四節気なのです。

朝、9時までには来院してください。と言うのを、数分遅れて到着した。駐車場を心配したが、意外と空いており停める。型どおりの検査に、約1時間超かかるが、レントゲンを終わった時点で空腹を感じ、帰ってよいかと尋ねてから帰宅。

 駐車場で、枇杷葉茶を全身と持ち物にスプレーし、車中にも撒く。帰宅して更衣をする。洗濯機を回し、布団を干す。庭を一回りして、猫柳が咲き始めたのに気づく。水仙の白さが眩しい。枇杷葉の花芽は、咲いているのもあるが・・・。

 ゆっくりと朝と昼を兼ねて、パンと珈琲を戴く。今朝は、枇杷葉茶を換える日であったので、新しい花芽を入れた。蜜柑や伊予甘の皮を、猫除けに置き、枯れて落ちた枇杷葉を掃く。午後になると雲が出たので、空を観て布団を仕舞う。

 灯油と燃料補給に出かけ、青空市に寄る。苺があったので買い、孫の誕生日用と、知人の子供さんにあげるべく、箱で求める。人参も、金時があり3袋入れておく。明日の弁当の用意はできているが、野菜の旬を保存しておきたいのだ。

 愛車を車庫に入れて、荷物を下ろし、勤務先から持って帰った繕い物を済ます。ズボンの綻びとゴム直しだ。一枚はセーターで毛糸で穴をふさいだ。予定のことが先ず先ず出来、ほっとする。新聞のニュースに、気分が落ち込んでいく。

 日本が戦争へ加担していく事に、言葉にならない恐怖を感じるのは、誰しも同じと思っていたが、そうでない者も居る。世界が一つになることはあり得ない。人種も違えば、宗教も異なるからだが、人類の願いには変りがないと信じたい。

 日本とアメリカは同じだと、考えられていることに問題があるのだ。戦争になれば、否応無しに駆り出され殺される。命は、何よりも尊いことを知っていながらも、表明内容がテロに屈しない、とあれば人命は、二の次になってしまうからだ。

 帰宅して、月の美しさに思わず、玄関から見上げる。地球に最も近くなった、スーパームーンである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする