今朝は、うっすらと雪が降っていた。指先が冷たく、早出の日にはストーブを点ける。休刊日で新聞が来ない。某新聞の連載小説が愉しみで、新しく始まった『孤道』の展開に、どうなるのかと心が躍る。『劉邦』も、そろそろ終結かと、これまでの筋を思い出す。
布団に潜っては、三国志を広げ、寝不足にならぬよう読み進む。同じ箇所を何度も繰り返したり、すっ飛ばしてみたりで、中々ページが変わらない。ハードカバーでは読んでいるので、再読再々読になる。頭の固さで納得できないので、先に進めないのだ。
図書館で借りる本もあり、仕事関係の書籍もある。自分の知らない分野を、学べることは有難い。難解なので、思考停止や混乱を引き起こす。それでもめげないで読んでいくが、1冊を終える頃には、初めの箇所は忘れている。嘆かわしいのだが再読する。
中学生の時に読んだ『我はロボット』は、強烈だった。多感な思春期には、外国の作品が多かった。今になって、読み返したくなる本もある。作者の意図するところが、随分と異なっているのは確かだ。年を重ねても興味を失わず、文字に親しみ続けたいもの。
歯医者で治療をしてもらう。然し、左半分の鈍痛が消えない。介護の負担が大きいが、楽な内容は存在しない。体を騙してするしかない。物の見方や考え方を随時変えていかないと、肉体的にきつくなってしまう。介護の賃金を上げていかないと、離職者増。
外国に支援するのもいいが、福島の復興は済んでいないし、定額所得者への配慮は見当たらない。働けば、するほど困窮していく。理不尽な政治に、黙っているしかないのか?自民党も民主党も信じられない。政治家に都合の好い改革ばかりじゃないの。
文明が進むと、文化が退化していくのだろうか。国の予算は赤字国債で、然も半端な金額じゃない。この負債を誰が、どうやって解消していくのか?大手企業だけを優先し、中小企業へは潰しの形。厳しい条件での生き残りは、跡継ぎもなく儲けも無いのだ。
パソコンの部屋に置いている、観葉植物。初めに置いた場所を動かさないでいる。枯れもせず育っている。