世間は、チョコの日と浮かれているが、市内まで行かねばならない用事があり、予てよりの相談で、友人と出かける。大勢の人に圧倒されながら、目的地にたどり着く。百貨店での催しに、京都展があり、興味をそそられてしまう。
京都展なので、扇や御香等が並んでいる。リエさんへの誕生日を思い出し、一筆箋と懐紙を求める。桜の花が愛らしい。自分には、散らし寿しを買い、人混みに疲れ果てて、市内電車で駅まで乗り、無印で買い物をしてホームに。
昼を可なり過ぎていたため、友人と別れた辺りから気分が悪くなる。車中では動きがとれず、保々の態で我が家まで。冷や汗は流れるし、眼は霞んでくるしで、一瞬気弱になりかけた。枇杷葉の、お蔭としか想えない有難さに感謝。
こういった状況が、一番危険なことは云うまでも無い。我慢をすまいと思っていても、いざとなれば、見ず知らずの家には声がかけ難いし、コンビニにも入り難い。気持ちの中には何時も、医者嫌い故の、気持ちであるから回避する。
水戸黄門ではないが、印籠を持ち歩く必要がある。これからは、山女酒も入れておこう。きらん草や千振もだ。緊急時には、常備薬で役に立つ。他人さまが困っていれば、援けることができるが、自分には対処の仕様がなく、愕然だ。
意識のある内には、自分でできる。そうでないから困るのだ。やはり、覚悟をしておこう。と切実に感じた事態であった。無理は次第にできなくなることを実感。やはり明日は、昼食を準備した時点で、早退しよう。内職も溜まる一方だ。
大勢の人混みには、眼には見えないけど、あらゆるばい菌やウイルスが漂っているのだ。きれいに見えて、雑菌がうようよしている。枇杷葉生活をのんびりとしている身では、あまりにも違い過ぎるのだ。枇杷葉屋敷が住み佳く安心。
月光、と言うべき月の光の素晴しさだ。月の軌道と、地球の軌道とが、一番近くなった昨年で、輝きもスペクタル。