子どもの頃には、雪国の大変さが実感できず、かまくらという、雪で出来た物の中に入ってみたかった。蝋燭での明かりが幻想的で、寒さも忘れる催しに思えた。この頃には、寒さに負けるので、物見遊山では行かれない。雪祭りも退散である。
かといって暑いのも困る。暑さには平気だが、爬虫類が苦手なのだ。これは彼等のせいではなく、毒蛇の存在が厭なだけだ。神が創りたもうた生き物であるが、個人的には遠慮したい。エデンの園での記憶がある訳でもないが、あれはいかん。
勤務先で、菜の花寿しを作る。ご飯は既に炊いてくれており、酢飯にしておく。菜の花を湯がいた時点で中断し、トイレ介助を済ませる。その後、金糸卵を作り、蒲鉾と竹輪を茹でる。頼んでおいた材料がないが、変わり菜の花寿しに変更した。
おおっ!何時もは文句ばかり言うておる人が、黙って食べている。落ち着かなく歩き回っている人も静かだ。材料は何であれ、酢飯の味さえ良ければ、食べられるのだ。午後からドライブというので、清汁を付ける。シンプルな味でこそ美味しい。
散らし寿しも、本格的な物ではなく、材料もその時に依る。前回は、沢庵を入れたので、今回はあおさと紅生姜を散らした。菜の花は、小さく切って、一番上に張った。彩りも(見栄え)よく、美味しそうに見えたのもよかった。ご馳走さまに感謝する。
次回は、蛤寿しにしよう。お彼岸辺りがいいなぁ。父と母に、暫く振りに作って行こうか。卵を薄く焼いて包み、焼き火箸で筋を入れ出来上がり。何十年か前の、今日の料理に載っていた。テキストは廃品回収で出したが、記憶は鮮明に残っている。
蛤である。滝沢馬琴は、蛤の殻に塩を入れて、火鉢で真っ黒になるまで焼き、これを使って歯を磨いていたそうだ。塩には殺菌・止血作用があり、皮膚の痒みや火傷にも効果が大きいが、歯磨きにも有効とは驚きだ。幸いにも、蛤もあるので作ろう。
秋になると、枇杷葉の生葉が艶めいてくる。夏の暑さに耐え、今度は花を咲かせる準備に入る。