枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

継続は力なり・・・

2017年11月14日 | Weblog

 ブログを始めて、可能な限り更新を続けてきた。どんな方が訪れてくれているかは、知らないものの、これ程長続きしようとは思ってもみなかった。枇杷葉のお蔭であることは明らかだが、現代人の病んでいることに、今更ながらびっくりする。病は気から。

 日野原重利さんの著作にもあるが、薬に頼り過ぎるのは好くない。枇杷葉の効力にも、個人差があるのは否めない。それでも、援けてもらいたい想いが、効果を広げたり、如何なく発揮する。薬には、必ず薬害が伴う。できれば良医に巡り遇いたいものだ。

 何かのせいにすれば、気は済むかも知れぬが、事態は変らずで、前にも進めないし、後にも引き返せない。北野武さんは、芥川賞があいつに取れたんだから、俺にも可能性があるだろう。と小説をお書かれた。動機は何であれ、そういった気持ちは凄い。

 人生の設計をどの時期からするかで、生き方は大きく変化する。然し、余程のことが無い限り、計画して生きていくなどしはしない。身体の調子が悪かったり、病院受診での急激な数値に慌てて、後悔してからが多い。親の意見も、他人の言うことにも無視。

 若い時には、元気であるのが当たり前でも、30代になり40代に移れば、人間は生身の身体だから、何処かしらが故障を起す。一寸位はと云う安易さが、取り返しのつかない結果に陥る。そういった時に、覚悟を決めて、枇杷葉に向き合うのも方法かも。

 テレビは、勤務先でちょちょろしか見ないが、興味のあることは記憶している。現代農業を毎月借りるのも利益が多い。然し、丸呑みはしないでおく。自分には何が必要で、どうすれば効力があるかと考える。実験をするというのも好い。方法が合えば儲け。

 沢田研二さんの、武道館コンサートを観ていて、25周年と話していたから、予測した43歳か44歳だった。顔つきを見て、スタイルを観れば一目瞭然だが、興味の無いことには無頓着なものだ。で、アマゾンに、ジュリー祭りを注文した。これはCDで好い。

 昨夜からの雨で、今朝は洗濯も乾かずだが干しておく。午前中に、友人が来るので、身ごしらえを終え、すばるのトイレを換えようとしたら、玄関のチャイムが鳴った。枇杷談義をする。珈琲を淹れて、ケーキを頬張る。すばるが好物らしく、膝に乗ってくる。

 枇杷葉茶を切らさないように遣るので、尿も便も、他所の猫よりは臭わない。枇杷葉の枯れた葉を乗せておき、堆肥になるのを待つ。トイレを換えた途端に、敷いておいたパッドを破り、得意顔である。わあぁ、何てことをするのよ、今綺麗にしたばかりでしょ。

 疾風の如く逃走し、出窓の指定席で寝ている。その間に、郵便局に出向き、年賀状を受け取る。これも今年までか、仕事を辞めたら出さない。メールも打たないし、便利な機器は止める。ネットは使うが、ブログの更新と、ベルネの購入と、ここのメールだけ。

 リエさんに逢いに行けるのも、今回が最後になるかもしれない。金銭的なことと、仕事を辞めたら、身体の疲労度が違うのは分っているので。そうなると、コンサートには行けない。年金だけの生活には、出費を抑える工夫が要る。従って、今の内に青春を。

 如月の夕方。金星と月が、西の宇宙に懸かる。自然からの贈り物には、人に依って価値が異なる。

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