先日、勤務先での大騒動があり、何をどう考えても、その経緯が不明であったが、本人に聞いてみれば、頭に?が幾つも浮かぶ答えをする。そんな訳ねえだろう。何と、腐った柿を外に放置していたら、小さくなって萎むと言うのだ。珍答にのけぞった。
通常、いや普通に考えて、干し柿にでもすればだが、箱に入れたまま、外に放置すれば、蜂や蟻が集まり、雨が降ったりすれば、ゴキブリも発生するし、カメムシも集団で来る。この季節の虫の行動を知ろうとせず、傍迷惑もいいところ。思考回路が謎。
何も、外に出してはならぬ。とばかりに言うのではない。翌日が休みであったから、とも弁解するが、それならホウレンソウがあるではないか。然し、一番に思ったのは、分らなかったら聴こうということ。知ったかぶりには、思わぬ落とし穴が待ち受ける。
核家族になって、高齢者への尊厳も、敬うことさえ怪しい昨今、無理もないとは言うものの、認知症の方を相手に仕事をしているのだ。もう少し、歴史を多角的に学ぼう。自分の思い通りには決してならないのが、世の常だが、それだけに学ぶことは多。
歴史が苦手と言うが、自分の昨日も歴史ではないか。未来へと進んでいく過程には、現在があり、過去に繋がる。自分だけの家系ではなく、親もいれば祖先にも遡る。そういったことが全て歴史だろう。有名人や偉大な人だけが、歴史で残るのではない。
また、人類だけが歴史でもなく、昆虫や小さな生き物に至っても、時間の中に組み込まれているのだ。化石と生り、人間の餌と生り、やがては無に還っていく。森羅万象のあらゆる命に、歴史があるのだ。だからこそ、宇宙に瞬く星々は、何億の時を超え。
嫁姑の諍いが無くなったのは喜ばしい。然し、便利で快適な生活であれば、ちょっとした工夫も無く、物は壊れれば新しく買い、治すことは皆無に等しい。修理代の方が高くつく。尤も、治せる技術がない。専門的な知識はあっても、全体が判らないのだ。
サンタさんのに決めてある、淡路田中枇杷葉。これは、葉も実も大きい。肥料の如何に関わらず、品種の関係。