枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月二十九日

2017年11月17日 | Weblog

 業務の中には、多少の冗談も必要だが、無駄なお喋りほど無意味な物はない。ゆったりと余裕を持って当るのは勿論だが、時間は待ってくれないし、しなければならないことは山積みに多いのに、迷惑千万である。加えて、他人には命令的である。

 例えて言えば、入浴当番であれば、何人を入れて、掃除を終え、記録を書くのも、時間は決まっている。他人の時間を使って、業務に滞りが出れば、さぼっているのと同じである。四角四面の内容を言うのではない。何をするのも心構えが肝心だ。

 リエさんに逢える日が近づき、何とか気分を変えてはいるが、気持ちの切り換えの難しさは、何事にもひた向きさであれば有るほど、気疲れが増える。悩みは尽きず、不安は拡大し、今更中止にはできないしでゆううつ。すばるを置いていくのが。

 腕白な故に心配もあり、娘に頼んではいるが、日中は兎も角、夜には探しはしないか。寒さに凍えてしまうか、と心配は尽きぬのだ。かといって連れては行けぬ。餌は、娘等が来ての世話だが、独りぽっちで眠れるのかも案じられる。帰宅後が・・・

 上司の面談があると言うので、時間には赴いていたが、本日は留守と。仕方なく次いでなので物品を持って帰る。その後、業務が多忙になった時間に連絡が入る。遅れるならそうと伝言を。何がチームケアであるか。直属の上司でなくていいけど。

 定年だから辞めたいのだ。然し、本音は言わないでおく。こういう連中に、どんなに話しても無駄である。こちらの言うことに、耳を傾け、向き合う姿勢が全くない。本を読むという割りには、タイトルも内容も話せないしで、感動する言葉もないではね。

 今朝の気温は低く、これが本来の温度であろうが寒かった。すばるがにゃあにゃあ鳴き、だっこをせがむ。それを置いて仕事に行き、帰宅すると擦り寄って来る。今は、ストーブの傍で毛繕いをしている。因みに、タイガースの瞳みのるさんのファン。

 仕事を辞めたら、Aさんが家においでと云う。有難いことであるが、水を分けてもらいに行く時に、ゆっくりとできるのが望ましい。幸いに車の運転は出来るので、買い物には付き合えるし、枇杷葉の手当ても可能なので。着かず離れずが一番ですよ。

 春の宇宙に輝くのは、月と金星だ。内合になれば、明けの明星となり、外合では宵の明星となる。

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