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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、朔・大潮

2017年11月18日 | Weblog

 二の酉。今朝は、昨晩からの雨のためか、ぐんと気温が低く冷え込む。すばるを見ていると、実に好く分る。寒いから抱っこを強いる。足の傍で縺れる。止む無く、台所はストーブを点けるが傍を離れない。抱き上げれば満足して咽喉を鳴らす。

 友人が頼んでいたおかきを取りに来る。それだけの用事なので、直ぐに帰った。本屋に電話して、御宿かわせみの文庫を注文し、ブログに取り掛かる。デジカメと携帯の充電をして、カードの写真を取り出そう。花芽が馥郁と匂い、心地好さ堪能。

 クリスマスローズも、自然のお湿りでしっかりしてきた。冬の到来に備えをしつつ、上京の用意をしなければ。セーターやら下着を忘れないように、風邪にも充分に注意を怠らず。千振を持って行こう。マスクは基本的には嫌いなので、嗽と手洗い。

 マスクが厭な理由。何故か顔の面積が小さく、どのマスクでも額まで掛かるため。小さなマスクはちょっと足らず、耳もきついのだ。勤務先でも有名で、わたくしの傍に来ると、その違いがはっきりとする。子どもの頃には、違うことが辛かったもの。

 美容的には、小顔で、髪は自然のウエーブで、スリムで、加えて胴が短いとなれば、スタイル抜群と言われるが、実際にはバーゲンには走れないし、股下が足らなくて合わないのは、却って高い買い物になるのだ。子どもの時にはつんつくりん。

 杓子定規な言い方をされ、合わないことに劣等感を抱き、自分を責め逃げるしかなかった。書籍は、自分だけの世界を創れ、何時でも何処でも空想を描き立てる。人とは違うことが、差別に他ならないって知らなかった。たくさんの本に出遭えた。

 鮮烈な印象に残っている、アシモフの『我はロボット』に、末吉暁子さんの『霧の降る部屋』。誰が何と言おうと、この二冊はバイブル的存在。自分でも書くが、リアルティがないと選評に記される。実際に体験するのと、嘘を本物に書くのは異なる。

 先日も、目の前に知っている方がゆっくりと倒れこんでいくのが視えた。金縛りに遭った状態だが、その数日後に亡くなられた。でも、数日後に命を終えるから、とは告げれない。何を根拠にと怒られるだろう。施設に来ての時には、影が薄かった。

 決して、視ようとして見えることでなし、感じるといおうか、解かるんだが、科学的な説明が出来ない。自然を相手に暮らしているから、そういった霊感が強いのかも知れない。前野・ウルド・浩太郎さんにも、直感から通じるものが。研究に勤しんで。

 沢田研二さんのDVDを買おうとしたら、本屋では注文できない。CDは可能だったが、既に持っている。来年のことに延ばそう。還暦の声には、それなりの年輪が刻まれて、聴く者の心を揺さぶってくる。タイガースの時には、格好だけだったような。

 春の宇宙には、淡い星々が緩い曲線を描き、光っている。その西に、燦然と輝く金星と、月の姿が。

コメント
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