二十四節気 立冬 陰気深く籠り、冬の気立つ。と言う意で、立冬と言う。次第に冷気深くなる。毎年、十一月八日頃である。温暖化の影響が少なからずで、何と言う温かさであろうか。枇杷湯に浸かり、塩で身体を揉み、綿の肌着を着ていると、自然にぽかぽかしてくるのも不思議だ。最近は、足も冷えない。
子どもの頃に祖母が言っていたことを、真剣に聴いておれば、寒さも平気になり、凍傷にもならなかったのを、今更ながら後悔している。免疫や抗体は、自分で遣り繰りしていくもので、医者に任せておくことではない。自然治癒力がありながら、それを援ける働きをしないでは、身体も衰えが激しくなるかも。
手荒れには、用心をしているが、勤務先では消毒一辺倒で、困惑することが多い。それでも、枇杷葉茶に塩を入れたのを持参し、嗽をしている。感染的なことであるらしいが、菌は何処かしらにあり、見えないだけのことだ。殺菌作用があるのは、焼酎に漬けた枇杷葉で充分。医学的な見解に、乏しいだけだが。
本日も晴天で、蒲団を干してから、支払いや買い物をして帰宅した。リエさんに宅配を手配し、図書館に寄り返却を済ませ、予約の雑誌を借りた。その後には、余りに地面が乾燥しており、水遣りをしておく。立冬では、夜露で霜になり、凍結するのだが、気温の上昇が不気味だ。仕事も適度でないと身体が鈍る。
休日に寝て過ごす算段もあるが、天気には身体が動く。倹約と節約の暮しには、枇杷葉は欠かせない。確かに辛抱の年数はあるが、これからの年金暮らしには、工夫と知恵が必要となるのだ。何もしないでいるよりは、試行錯誤をしてみるのもいい。加えて、自然に祈り感謝を忘れずにいることで、日々の暮しを。
古来の遣り方を、何が何でもするのではない。時代に即した遣り方が、必ず見つかると思うにで、自分なりに探してみるのも愉しい。上手くいけば成功だし、失敗しても諦めないことと、何故だろうと思ったり、探求心を持つことかもしれない。他人任せにしていると、何時まで経っても進歩がない。晴耕雨読で。
りささんの枇杷葉は、種を植えて育てた物だが、中々花芽も結実もしなかった。ここ数年実が。