宮沢賢治の生きていた時代とは、大きな隔たりが生じている今日、災害に対する備えは万全だと思っていた節がある。然し、川幅を広げたり、堤防を強固にしても、川底を浚えたり、泥を撤去する作業はしていなかった。水が氾濫した原因は、人間の傲慢さに他ならないことに気づこう。
明るく快適で、綺麗で清潔な住み良い生活の落とし穴。汚い仕事や、めんどくさいことはしないで、買えば済むと考えている節がある。少なくとも、昭和時代の者には、加えて戦後の者にも、高度成長期の名残が見受けられる。百姓を侮ってはならない。誰が作ってくれ提供してくれる。
農薬をかけないで作れば、生産性は落ちるのか?厭々、身体のためでもあるが、地球にやさしい農法には、子孫への宝となる。然し、手っ取り早やい遣り方をすれば毒しか残らない。その毒は一体何処に流れて行く?川に海に、延いては地球を覆い宇宙にも広がる。皆人類のしたことだよ。
枇杷葉の傍に立つと、視えてくることがある。悪しきものがたちまち表面化する。とても不思議な事で、理由は分からないけれども現れる。緒方貞子さんを知らない、後藤みどりさんも知らない。忙しいと言う口で、介護の仕事に従事する。あらゆることの発端には、心が存在するものだ。
さだまさしさんは好かないが、才能はあることは認める。森山良子さんは、難病で苦しむ子ども等に、毎年コンサートを開く。単に歌手であるから可能なのではない。と思えるが、個人の想いなので定かでもない。歌声は心を癒すが、これにも好き好きが絡まる。どんな音楽も同じだろう。
何だか疲れが増えていくようで、しんどい想いばかりだった。体力が減ってくるのは当然のことで、これから増えていくことはない。気力も、その日の気分にも依り、上下することが少なくない。然しながら、読書をすることに因って、救われることが多いにも確かだ。柚子の花咲く進行中。
桃栗三年柿八年・枇杷は九年で生り渡る。柚子の大莫迦十三年とも言う。これは実が生ることへの算段で、花が咲くのは異なる。枇杷葉は早ければ、四年位から咲いたし、金柑や蜜柑の程は知らない。葉室麟著作に依れば、柚子は九年で花が咲くと有。最近のは、改良されて一年で咲き実が。
駐車場への出入り端にある。5本植えたのが、どんどん伸びて花咲いた。苗木で4年程、植えて3年目。